番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【10時のグッとストーリー】
きょうは、子どもの頃に見ていたおばあちゃんの和傘作りに憧れ、勤め先を辞めて和傘職人になった女性のグッとストーリーです。
江戸時代から和傘の生産地として有名な、岐阜市の加納地区。長良川の流域にあるこの地域は、和傘の材料となる質のいい和紙や竹などが豊富に手に入ることから、かつては何百軒もの傘屋さんが軒を並べていました。現在は3軒に減りましたが、いまでも和傘の9割近くは岐阜で作られているのです。
自然の素材で作られている和傘は、骨組み作りから、和紙の張り付け、うるし塗りなどすべての工程が手作業。それぞれ専門の職人さんがいて、分業で作るのが普通ですが、すべての工程を1人でこなし、和傘を作っている女性の職人さんが岐阜にいます。河合幹子さん・30歳。
「母の実家が老舗の和傘屋で、小さい頃は職人だったおばあちゃんの姿を見て育ったんです。『私も大きくなったら和傘職人になるんだ!』って思ってました」と言う幹子さん。
その後進学して就職すると、和傘とは自然と縁遠くなって行きましたが、和傘店を継いだ伯父さんから「人手が足りなくて困ってるんだ。手伝ってくれないか?」と頼まれたことをきっかけに、思いきって勤めを辞め、和傘作りの道に飛び込みました。
まったくの未経験で不安はありましたが、幼い頃におばあちゃんや職人さんの仕事風景を間近で見ていた幹子さんは、作業を覚えるのも早く、始めて1年後ぐらいには、もう商品として売れる和傘を作れるようになっていました。
「外側の塗料を塗る作業がいちばん難しいんですが、私は子どもの頃、その職人さんにいつも遊んでもらっていたので、見よう見まねで、わりとすぐにコツがつかめたんですよね」
幹子さんの両親は新聞販売店を営んでいましたが、お母さんが病気になったため、おととしの夏に幹子さんは和傘店を辞め、家業を手伝うことに。しかし和傘作りは止めず、引退した職人さんに教えてもらい、新聞配達をしながら和傘を作り続けました。
実家に戻るのと同時に、自分のブランド「仐日和(かさびより)」を立ち上げ、小売店への卸しや、オンラインショップでの販売もスタート。すべての工程を1人でこなしている幹子さんが作れるのは、1ヵ月に15本から20本ですが、従来の和傘のイメージを変える女性らしいカラフルな柄物の和傘が好評で、注文から数ヵ月待ちになっているそうです。
「おばあちゃんが、柄物をよく作ってたんです。私もその系統を受け継いでいるんですね」
シンプルな無地の和傘が主流だった頃に、時代を先取りするような斬新な和傘を作っていた、幹子さんのおばあちゃん。幹子さんがいま作っている、三日月の形に色を塗り分けた「月奴(つきやっこ)」という和傘も、おばあちゃんから受け継いだものです。
和傘を持つのは和服を着る女性というイメージがありますが、意外なことに、いま和傘を買う人の6割が男性で、洋服で和傘を持つ人も増えているそうです。
「最近は、スーツに合うデザインの男性向け和傘も作っています。従来の和傘のイメージにとらわれない、時代のニーズに合った和傘を作って行きたいんです」と言う幹子さん。
和傘作りは、細かい作業をコツコツ積み上げていく、孤独で地味な仕事。しかも、ちょっとしたミスやアクシデントで、せっかく積み上げた作業が無駄になることも。
「油を塗った和傘は天日干しで乾かすんですが、この前、強風に吹き飛ばされて、2本がダメになりました……」でも、買ってくれたお客さんから「雨の日がすごく楽しみになりました」「和傘をさすために出掛けてます」という嬉しい声を聞くと、辛さも吹き飛びます。
幹子さんは言います。「和傘の世界も後継者不足に悩んでいるんですが、単価が安いのも1つの理由なんです。もっと技術を高めて、高くても売れるものを作って、単価を上げて、この世界に入ってくる若い人を増やすのが、これからの目標ですね」
八木亜希子 LOVE&MELODY
FM93AM1242ニッポン放送 土曜 8:00-10:50
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