西日本豪雨からの復興~5,000円札に込められた真心のリレー
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それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
11月もあとわずか…。そろそろ今年を振り返ってもいいでしょう。2018年は本当に、自然災害の多い年でした。
まず、異常に暑かった夏。そして、連続した台風被害。6月には大阪府北部地震、9月には北海道胆振(いぶり)東部地震。西日本を中心に北海道や中部地方など、全国的に広い範囲が豪雨に見舞われたのは、6月28日から7月8日にかけてでした。
広島県安芸郡坂町の高下博美さんの自宅を、山からの鉄砲水が襲ったのは、7月6日の夜のことでした。
「1週間の長雨が続いてね、午後6時15分には避難勧告が出ました。家の前の川を見に行くと、あと5センチほどであふれ出す気配。こりゃダメだ。避難しようと、玄関にカギをかけたところでした。そのとき、6メートルの鉄砲水が台所から襲って来たんです」と、その恐怖の瞬間を振り返ってくれた高下さん。
「足首から腰、腰から胸まで、アッという間に川の砂に埋まりました。『くそ! こんなところで死んでたまるか!』と叫びました」
高下さんは、水をかぶっていない2階を目指したそうです。ところが、足が大きな石にはさまれて自分が動けないことに気づきました。「落ち着け、高下博美、落ち着け!」自分自身に語りかけながら、水に潜って石から足をはずしました。
ようやく2階にたどり着くと、そこで停電になってしまいました。猛烈に暑いので、窓を開けて風を入れました。奥さんはまだ勤め先。息子さんは広島県内の大学に行っています。それぞれに電話をかけ、高下さんは言いました。
「まず、自分の安全を確保しろ。もうこの家には戻れんぞ!」
絶望のなか、心だけはピーンと緊張の糸が張り詰めていたと言います。
明け放した窓から、近所の人たちの顔が見えました。
「お~い元気か?」「あしたはみんなで、晴れた空を見ようぜ!」と声を掛け合い、1人暮らしのお年寄りには「ひとりじゃないですよ! 大丈夫! 安心しなさい」と励ましの言葉を送りました。
次の朝の5時、窓を開けると犬の鳴き声が聴こえました。見れば、犬のそばのがれきの上にポツンと娘さんが座っています。
「お~い! 待ってなさい。いま、救助隊に知らせるから」
高下さんは、この町に生まれ育ち、42年間地元の学校の庶務と雑務を一手に引き受けた方。そのキャリアが、こうした災害時にもテキパキと判断を下すのに役立ちました。しかし自宅は、骨組みだけが残っただけ…全壊でした。
近くのショッピングセンターに避難して3日間を過ごし、7月9日夜、車と船を乗り継いで姉と息子さんが迎えに来てくれました。
午後7時頃、その親戚の近くのコンビニエンスストアに入ったときのこと。携帯の充電器と乾電池を買い、後輩に電話をして、これまでの一部始終を話していました。恐ろしい体験と鉄砲水への恨みつらみがこみ上げて来て、涙が出たと言います。
そのとき突然、高下さんの横から手が伸びて、右手をつかまれました。握りしめた高下さんの手の指を1本ずつ開いて、何かを握らせました。
「何だろうと思って、手のなかを見たら5,000円札だったんです。30歳から40歳くらいの女性でした。『これで元気を出してください』と泣きながら言うので、「こんなものは受け取れません」と断りました。すると彼女は、こう言ったんです。『今度は、あなたが誰かを助けてあげてください』…私は、次の言葉が出て来ませんでした」
高下さんは、ようやく誓うように言ったそうです。
「分かりました。あなたの想いを必ず次に伝えます!」
それからの復旧作業のなかで、高下さんはボランティアの若者たちに、真心をもって尽くしました。ボランティアの人たちに報酬を与えてはいけない、という原則は分かっていますが、真心は原則を超えるときがあるものです。
高下さんはその女性にもう1度会って、お礼を言いたいといいます。
「あのときは、本当にありがとうございました。あなたの思いはしっかり受け継いで、高下博美は頑張っております!」
その5,000円札は、いまも大切に財布のなかにしまってあるそうです。そして近々、地元の福祉協議会に贈ることにしています。
上柳昌彦 あさぼらけ
FM93AM1242ニッポン放送 月曜 5:00-6:00 火-金 4:30-6:00
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ