日産の「二枚看板」が半世紀
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「報道部畑中デスクの独り言」(第126回)では、ニッポン放送報道部畑中デスクが、日産GT-RとフェアレディZの「二枚看板」について解説する。
カルロス・ゴーン前会長の逮捕以降、日産自動車の周辺は依然騒がしい状況です。先日はダニエレ・スキラッチ副社長が近く辞任する見通しが報じられました。スキラッチ氏と言えば、2年前の東京モーターショー。当時、日産は検査不正問題の渦中にあり、西川廣人社長がプレスブリーフィングを欠席し、“代理”としてステージに立ったのがスキラッチ氏でした。電気自動車の事業戦略も担当しており、今後の経営戦略への影響が懸念されます。
こうしたなか、東京・銀座のショールーム「日産クロッシング」では、日産の「二枚看板」に関する発表会がありました。ともに1969年に販売を開始した「日産GT-R(以下 GT-R)」と「フェアレディZ(以下 Z)」が50周年を迎え、記念車が披露されたのです。この2つのブランドの生い立ちについては昨年暮れの小欄をご参照下さい。発表会ではGT-Rニスモの2020年バージョンも発表されました。
「日本が世界に誇れる、憧れのスポーツカーだ」
星野朝子専務はこのように述べ、若いころGT-Rが欲しくて、預金通帳とにらめっこしてあきらめたというエピソードも明かされました。
自動車業界は電動化や自動運転に向けた厳しい開発競争が続いています。また日産についてはルノー・三菱自動車の新たなアライアンス構築の真っ最中でもあります。こうしたなかで、これらのスポーツカーの位置づけはどうなるのか? この2つのブランドは今後も継続して行けるのか? 私が知りたいことでした。特に現行版については、GT-Rは細かな改良を続けているものの、2007年から12年。Zも2008年から11年を数えます。いまだ国内軽視のイメージが強い日産ですが、その象徴にも思えるだけに、なおさら気になることでした。
「自動運転の技術にさえもこれらのクルマにはフィードバックがかかっていく。基礎というかコアというか、そういう位置づけなので、こういうクルマの開発をやめてしまうということはいまのところない」(星野専務)
「GT-RもフェアレディZも我々の大切な日産のブランドの象徴、技術の日産の象徴だ。これを大切に育てて次の時代の歴史を築いていく。お客様がスポーツカーを望む限り、日産として開発を続けたい」(同席した田沼謹一常務 GT-Rの車両開発主管)
Zについては、かの自動車評論家の徳大寺有恒さん(故人)が著書「間違いだらけのクルマ選び」のなかで、「Zをやめる時は日産がクルマづくりをやめる時」と書いていたことを思い出しますが、星野専務と田沼常務の発言では両車を決してなくすことはないという強い意志を感じました。
とは言え、3.7~3.8ℓの大排気量のスポーツカーはこれからの「100年に1度の大変革」と言われる時代でどう生きて行くのか…電動化や自動運転技術、そしてこれまた厳しくなる一方の環境問題にどう対応して行くのか…また、「レースがある限り、GT-RとZは確実にレースを走っているんではないか」(星野専務)と言うように、競技場や趣味の世界だけのものになって行くのか。あるべき姿に向けて模索が続きそうです。
奇しくもトヨタ自動車でもスポーツカー「スープラ」の復活が発表され、豊田章男社長はCMで「100年前のアメリカには1,500万頭の馬がいた。いまは1,500万台の車に変わった。ところが、競走馬や楽しむための馬は残っている。コモディティ(汎用品)化した時代でも必ず残る車はファン・トゥ・ドライブ。だからスポーツカーはつくっていきたい」と話しています。本当にこのような時代が来るのでしょうか。
そして、現実問題として厳しいと感じるのはその価格です。GT-Rは、発売当時は777万円で話題になりましたが、年々上がり、いまや基準車でも1,000万円を超えます。Zも基準車は400万円弱。各グレードは旧型に比べて60万~100万円値上がりしました(いずれも税込)。GT-Rはかつてのスカイラインの高性能版、基本はファミリーセダンでした。Zはアメリカで一世を風靡したとき、「プアマンズ・ポルシェ」と言われたように、「安くて高性能」というのが売りであり、アイデンティティでした。
確かにスポーツカーをめぐる環境は厳しく、採算をとりながら販売を継続するのは難しい時代です。上記の価格は内容を考えれば「バーゲン価格」と言う人もいますが、やはりいまは手の届かない所に行ってしまったなというのが正直なところです。少し無理すれば手に入る値段であった時代が懐かしく感じられます。
2つの50周年記念車はGT-Rが今年6月、Zは今年夏に発売し、ともに来年3月末までの期間の限定販売ということです。(了)