それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
いよいよ10連休の始まり…。心はすでに行楽地へ飛んで落ち着かないという方もいらっしゃるはずです。さて、温泉宿に着いて「こちらでございます」と部屋に通されますと、真ん中の四角いテーブルに甘いお菓子とお茶の道具が用意されています。
ご存知の方も多いと思いますが、あのお菓子には大きな意味がある! 温泉に入りますと血糖値が下がって、湯あたりをする体質の方がいる。その低血糖を防ぐためには饅頭など甘いものを食べておくといい。日本旅館の古くからの習慣は、非常に理にかなったものだったわけです。
さて、福島県郡山市に本社を持つ「薄皮饅頭」は、創業1852年。徳川家康が亡くなる前の年、郡山宿で旅籠を営んでいた本名善兵衛が、泊り客へのサービスとして考案したと言われています。以来167年。その味はいまも、柏屋五代目・本名善兵衛社長が受け継ぎ、地元の人々に愛され続けています。
本名家の家訓は『今日が創業』! 毎日を創業の1日目だと思って仕事に励もうというわけです。
本名社長が、父親に「5代目善兵衛を名乗れ」と言われたのは、1986年、31歳のときでした。その年の8月、台風10号による逢瀬川の堤防決壊によって、薄皮饅頭の工場も店舗も壊滅的な打撃を受けました。
「いやぁ、あのときはもう全てを失って、終わりだなぁと思いました」と振り返る本名社長が、翌日出勤したとき見たものは、泥だらけになって復旧作業に取り組む社員たちの姿でした。泥水のなかから白い菓子箱を拾い上げ泣いている社員、そしてまた、それを励ます社員もいました。
「俺はまだ全てを失っていない。社員がいるじゃないか!」と気づいた社長は、「1度でもあきらめかけた自分を強く恥じました!」と振り返ります。五代目善兵衛を拝命したのは、それから間もなくのことでした。
どこまでも優しく柔らかい皮に歯を立てると、小麦と黒糖の上品な香り、それに包まれている北海道・十勝産のあずきの餡のさらりとした上質な甘み。地元の人たちに愛され親しまれて来たこの味を守り抜くために、本名社長と社員たちは一丸となって、たゆみない努力を続けて来ました。
例えば、昭和60年から毎月1日に開く「朝茶会」は、朝6時のスタート! できたての饅頭2個と季節のお菓子とお茶の無料サービスには、毎回300人~500人の人たちが集い、世代を超えた交流の場として活用しています。本名社長は34年も続くこの「朝茶会」を「こころの縁側」と呼んでいます。
また柏屋には、どんなお客様の小さな声も聴き逃さないシステムがあります。「もっと餡の少ないどらやきがほしい」「お彼岸向けのお菓子は無いの?」ありとあらゆる声や要望を、オンラインで社員が共有。商品開発やサービスに活かして来ました。
本名社長は「奇をてらったヒット商品を作る必要はない。どんな流行もやがて飽きられる。ヒットよりロングセラー! 長く続くものを作ろう!」と、社員たちに繰り返し言い続けて来たといいます。
また、文化活動を通じた社会貢献にも力を入れています。それは、子どもたちの詩の教室と詩の発表の機会の提供です。ラジオ福島では「子供の夢の青い窓」という番組を、ウィークデーの毎日放送。柏屋の店頭脇には、ブルーの枠のウィンドウが設けられています。そこには毎月1篇のさわやかな子供の詩が貼りだされます。
「青い窓」と呼ばれるウィンドウは、今年で60年目を迎えました。「私は子どもの詩が大好きなんですよ」と語る本名社長の胸には、小学校4年の女の子が書いた「おかし」という作品のフレーズが残っています。
『おかしは、みんなに愛される
私もおかしのように、みんなに愛される人間になろう』
毎年、新入社員の入社式には、この詩を披露しているそうです。
さて、福島と言えば2011年3月の東日本大震災。8年前のあの想い出を避けて通るわけには行きません。柏屋も1ヵ月間の休業を余儀なくされました。1ヵ月後、「こんなときに饅頭なんか食べてくれる人がいるんだろうか?」…恐る恐る準備を進めていると、オープンを待つ人の列が見えたと言います。「よかったね!」「待ってたよ!」と、店頭に響いた喜びの声!
本名社長の「この街に柏屋があってよかったと誇れるような饅頭屋になりたい」という想いは、着実に実を結んでいるようです。
上柳昌彦 あさぼらけ
FM93AM1242ニッポン放送 月曜 5:00-6:00 火-金 4:30-6:00
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ