それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
毎年およそ25万人が登る富士山。いまでは夏の風物詩として、すっかり定着しています。富士登山には4つのルートがあり、登りやすさなどで人気なのが「吉田ルート」です。
登山シーズンはマイカー規制が実施されていて、麓の駐車場に車を止め、シャトルバスに乗り「富士スバルライン5合目」へ向かいます。山頂を目指す登山者は高山病対策として、5合目で1時間ほどブラブラしながら体を慣らします。
この5合目でひときわ目を引くのが、山小屋風の建物、「五合園レストハウス」です。お土産をはじめ、レストラン、売店、郵便局もあって、絵ハガキを出す人で賑わっています。
そのすぐ近くに大きな銅像があって、普通なら胸を張り堂々としているものですが、その銅像は杖をつき、腰をかがめ、見るからにお年寄りです。どことなく、俳優の笠智衆さんに似ています。銅像にはプレートが付いていて、そこには「百五歳 富士山頂登拝」「五十嵐貞一翁(おう=いわゆる「おきな」)明治十九年九月二十一日生」とあります。
インターネットで検索すると、福島県古殿町のご出身。昭和の話なので情報が乏しいのですね。そこで町役場に問い合わせて、資料を送ってもらいました。
五十嵐貞一さんは昭和63年、満100歳で富士登山を成し遂げて、「名誉町民」に表彰されています。そのときの資料によりますと、初めて富士山に登ったのは昭和35年8月15日、73歳のとき。登山の知識は全くなく、一緒に登った全員が高山病に苦しみながら、夜を徹して山頂に辿りつきます。
そこで見たご来光の美しさ、神々しさ、雲海の荘厳さにすっかり感動してしまい、疲れも吹き飛んでしまったと言います。
それから15年。妻に先立たれた五十嵐さんは、妻の供養と、もう1度あのときのご来光を見てみたい、その思いで89歳のときに再度、富士登山に挑みます。
これに成功し、以来13年連続で富士登頂を成し遂げました。銅像のプレートは105歳になっていますが、正確には数え年で103歳。満年齢では101歳と10ヵ月。この記録は、未だに破られていません。
山梨日日新聞の当時の記事によりますと、1988年(昭和63年)8月6日、次男の利一さんをはじめ、親族11人と5合目を出発。7合目までは馬に乗りますが、ほとんどの道のりを息子さんや親族に両脇を支えられながら、1歩1歩踏みしめるように登りました。
8月8日は午前4時半ごろ起床。4時50分ごろ、山小屋の外に出ると、朝焼けとともに東の空に太陽が姿を現します。ご来光に手を合わせた五十嵐さんは、こう言ったそうです。
「雲海がきれいだな。歩いて渡りたいほどだ」
五十嵐さんは、よく長生きの秘訣を聞かれます。地元・古殿町の名産は、こんにゃく、山菜、そして卵。「毎日欠かさず、これを食べて来たおかげだ」と言っています。山小屋の朝食でも大好きな生卵を食べて、午前5時に出発。30秒歩くごとに休憩を取るという、ゆっくりしたペースで山頂を目指しました。
こうして、101歳と10ヵ月で富士登山に成功します。これが最後の富士登山になり、平成2年1月7日、103歳で天寿をまっとうします。
長生きの秘訣とともによく聞かれたのが、なぜ富士山に登るのか? 五十嵐さんは何のてらいもなく、こう言ったそうです。
「亡くなった妻に、いちばん近い場所だから」
これから「人生100年時代」を迎えますが、去年(2018年)の統計で、100歳以上の人は69,785人。このうち、女性の占める割合は88%。これだけ長寿社会となると、気になるのは五十嵐さんの101歳と10ヵ月の記録を、誰が破るのか? もしかしたら元気な「山ガール」が、いつの日か破るのかもしれませんね。
■富士登山オフィシャルサイト
http://www.fujisan-climb.jp
■富士山NET
http://www.fujisan-net.jp
■五十嵐貞一さんのふるさと「古殿町」のホームページ
https://www.town.furudono.fukushima.jp
上柳昌彦 あさぼらけ
FM93AM1242ニッポン放送 月曜 5:00-6:00 火-金 4:30-6:00
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ