【ライター望月の駅弁膝栗毛】
新潟地区で活躍を続ける、国鉄生まれの115系電車。
この日は、JR発足直後に登場した一次新潟色の編成が、信濃川を渡って行きます。
新潟の白い雪に日本海の青、新潟県の花・雪椿の赤のラインを配したというカラーリング。
平成5(1993)年のTVドラマ「高校教師」で出てきた115系電車はこの色でした。
JR発足から30年あまり、すっかりこのカラーも懐かしさを憶えるようになりました。
(参考)JR東日本新潟支社プレスリリース・2017年8月31日分
この30年あまり、新津駅弁「株式会社三新軒」のかじ取りを担っているのが、昭和27(1952)年生まれの遠藤龍司(えんどう・りゅうじ)社長(68歳)です。
30歳代後半で、お父様から三新軒を受け継ぎ、3代目に就任した遠藤社長。
私・望月が、全国の駅弁屋さんを訪問し、駅弁の製造現場やトップの方へのインタビューをお届けする特集企画「駅弁屋さんの厨房ですよ!」の第21弾は、「三新軒」に注目します。
●90年あまりの歴史を誇る「三新軒」!
―「三新軒」は、昭和3(1928)年の創業なんですよね?
「三新軒」という株式会社組織になったのが、昭和3年のことです。
それ以前は“家業”として弁当を作っていました。
駅弁販売の認可をいただくには、法人である必要があり、株式会社化されました。
「三新軒」の屋号は新津、新潟、新発田の3つの地名から取られたことはわかっていますが、いつからこの屋号を使い始めたのかは、正直よくわかっていません。
―遠藤家が、新津駅で弁当を売るようになったきっかけは?
初代社長の出身は、福島・猪苗代湖のほうです。
新潟と会津の間には、いまでこそ磐越自動車道や国道49号が通じていますが、鉄道の磐越西線による経済的な結びつきが大きかったんです。
(その意味でも)会津への玄関口となる、新津駅へ進出したのではないかと思われます。
私自身は、この新津駅前で生まれ育ってきました。
●少なくとも60年以上続く、伝統の「鮭の焼漬」!
―昔からある「三新軒」の駅弁は?
昔の資料が残っていないので、聞いた話になってしまいますが、私の母が遠藤家に嫁いできたときには、既に「鮭の焼漬」はあったと言います。
私が昭和27年生まれですから、恐らくそれ以前にはあったわけで、もしかしたら、戦前から作っていたのかもしれません。
鮭の焼漬は保存食ですから、昔は秋に獲れた鮭を各家庭のやり方で作っていたんですよね。
―「鮭の焼漬弁当」は、おなじみの構成だったんですか?
いまは玉子焼きが入っていますが、昔は煮玉子を入れていたと記憶しています。
子供心に、この煮玉子が大好きだった記憶が甦りますよ。
あと、パイナップルは、昔から口のなかをサッパリしてもらうために入れています。
もう40年くらい弁当の取引のある方がいるんですが、「鮭の焼漬弁当」をお届けするたびに、「すじこ」と「パイナップル」を食べるタイミングは話題になりますね!
●オリジナルのたれと鮭のうま味がギュッと詰まった「鮭の焼漬」
―鮭の焼漬は、オリジナルの「たれ」に漬けているんですか?
基本は醤油とみりんですね。
毎日、たくさんの鮭を焼き上げて、漬けますから、鮭自体からもうま味がたっぷり出ます。
たれは継ぎ足し、継ぎ足しではありますが、焼鮭の小さな身がはがれて沈殿したものは、1つずつしっかり取ってから、次の焼鮭を漬けていくようにしています。
焼きたてを漬け込みますから、毎回たれがジュワジュワ~っと泡立つんです。
―いまも「鮭の焼漬弁当」は、根強い人気ですよね?
現在、最も人気があるのは、「焼漬鮭ほぐし弁当」(1130円)です。
「鮭の焼漬弁当」は、鮭の焼漬の見た目が小さいとよく云われるのですが、鮭の身は焼いて一晩漬けることで、最初より少し縮むんです。
保存のために冷やしますと、なお一層、縮んでしまいます。
その点、鮭の身をほぐしたことで、よりボリュームを感じていただけるかと思います。
(三新軒・遠藤龍司社長インタビュー、つづく)
【おしながき】
・ご飯(新潟県産米)
・鮭の焼漬(ほぐし身) 錦糸玉子
・おくらと菊なめこの和え物
・舞茸の煮物
・赤かぶの酢漬け
・鉄火豆
スリーブ式の包装を外して、ふたを開けると、焼漬の香ばしさが感じられます。
白いご飯に鮭の焼漬のほぐし身がたっぷり載って、白ごまがひとフリされ、いいアクセント。
確かにほぐし身としたことで、フワッ~とした食感になり、より食べやすさが感じられます。
鮭の焼漬はもちろん、一緒に食用菊を使った和え物や舞茸の煮物を使ったおかずが入って、新潟らしさもいっぱいです。
新潟・村上市を流れる三面川の鉄橋を、羽越本線の普通列車が渡って行きます。
多くの川が流れ込み、それぞれの川で育まれてきた新潟の鮭文化。
その象徴とも言える郷土料理「鮭の焼漬」を駅弁として売り出したことで、新潟以外で暮らす私たちも、新潟の食文化を知るきっかけになりました。
三新軒・遠藤社長のインタビュー、次回に続きます。
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/