1971年が砂漠のアボリジナルアートの生まれた年
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黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に、アボリジナルアート・コーディネーターの内田真弓が出演。アボリジナルアートの素晴らしさについて語った。
黒木)今週のゲストはアボリジナルアート・コーディネーターの内田真弓さんです。おもにアボリジナルアートを日本に紹介するというお仕事をされていて、内田さんは画商、つまり買い付けの方ではなくプロデューサーだとおっしゃっています。絵を見て素敵だな、いいなということだけではなく、その奥の彼らの人生を紹介したいという思いがあるのですか?
内田)何十年も前になりますが、オーストラリアの大地をそのまま表した1枚の絵に出会いました。その1枚の絵を見たときに、背中に鳥肌が立ち、思わずギャラリーに飛び込んだのですが、そこで初めて目にした絵が86歳のおばあちゃんのアボリジナルアートでした。彼女は砂漠で生まれ、美術館などには行ったこともないのです。でも、西洋美術からいちばんかけ離れた場所で生涯を暮らしていた、86歳のおばあちゃんの作品にはとても思えませんでした。さらに驚いたのは、彼女が絵を描き始めたのは推定年齢で78歳になってからなのです。
黒木)その作品は、お目にはかかれないのですか?
内田)今回の伊勢丹の展覧会で1点展示しています。ご本人はもう亡くなっていますね。
黒木)アボリジナルアートの、どの部分にそういった要素があるのですか?
内田)1971年が、砂漠のアボリジナルアートの生まれた年です。それまで彼らは、絵の具やキャンバスとは無縁の社会にいました。彼らは伝達する内容を文字の代わりに自分たちの体の上、砂の上に描いていました。残すためのものではなく、描いたら全部を消してなくなっていたものです。それが1971年、ある美術の先生が彼らにキャンバスと絵の具を紹介したことで、若いアートが生まれました。私は絵の向こう側にある、5万年、10万年と彼らが伝えて来たストーリーを探りたくなりました。ですが、この絵を見ただけではストーリーはわかりません。現場に行き、彼らと狩りや儀式をして、寝食をともにする。そこで彼らがなぜこの色使い、パターンにしたのかがわかるのです。下描きはしません。すべて自分の頭のなかに描くストーリーが組み込まれているので、86歳のおばあちゃんとは思えない色使いや力強い筆さばきをするのです。抽象的に見えるのですが、大地や自分の所有する大切な聖地を表現しているのです。しかし、決まりごとはありません。
黒木)なるほど。展覧会では内田さんのご説明を聞くことができるのですか?
内田)期間中は、朝から閉店まで在廊しております。
黒木)贅沢な展覧会ですね。
内田)ぜひお立ち寄りください。
黒木)2月18日まで、伊勢丹新宿店で開催の『アボリジナルアート展』。みなさんぜひ足をお運びになられてはいかがでしょうか?
内田真弓(うちだ・まゆみ)/アボリジナルアート・コーディネーター
■航空会社に勤務後、1993年、アメリカへ1年間語学留学。
■1994年、ボランティアの日本語教師としてオーストラリアへ。日本帰国直前に先住民アボリジニアートに衝撃的に出会い、深く魅せられる。
■メルボルン市内のアボリジニアートギャラリーで6年間勤務したあと2000年に独立起業し、「ART SPACE LAND OF DREAMS」を立ち上げ。
■メルボルンを拠点に、日本での展示会プロデュース、アートの販売、講演、メディアの撮影コーディネート等を行うアボリジニアートのパイオニア的存在。
■2008年にはKKベストセラーズより『砂漠で見つけた夢』を出版。
■1年の大半をアボリジニの人々と多くの時間を過ごしています。
<アボリジナル・アート>
■大自然のなかで狩猟・採集生活をしていたオーストラリア先住民が、情報の記録や伝達のために使った絵画表現。
■彼等は、絵を描くことでコミュニケーションをとり、もともと天然の粘土を使い、砂絵、ボディペインティング、また岩壁などに絵を描き生活手段として使われて来た。
■70年代に西洋のアクリル絵具とキャンバスによって描かれはじめたのが「アボリジナルアート」の始まりとされる。
番組情報
毎朝、さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、朝の活力になるお話をうかがっていく「あさナビ」。ナビゲーター:黒木瞳