大学時代の恩師の話

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「報道部畑中デスクの独り言」(第190回)

ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム。今回は、畑中デスクの恩師・宇田応之さんの訃報が届いたことから、偉大なプロジェクトにも携わった氏について振り返る。

大学時代の恩師の話

宇田応之先生(2011年のOB会 背後左から2番目に写っているのが筆者)

2020年4月、新型コロナウイルスの感染拡大が続くなか、大学時代の恩師の訃報が届きました。コロナ感染とは関係なく、以前から療養中のところ、85歳で天寿を全うされました。葬儀はご家族のみで行われ、「お別れの会」の日程は未定です。

恩師の名は宇田応之さん(以下 先生と呼ばせていただきます)。理化学研究所を経て、1987年に早稲田大学の教授になられました。電子材料学、X線などを使った物質分析が専門でした。

私も先生のもとで人並みに卒業論文を書きましたが、提出締切1週間前に、先生から内容に“ダメ出し”がありました。実験の甘さによるものでしたが、「私はこんな論文をみているほどヒマじゃない!」と一喝されたことをいまも思い出します。

青くなった私はその後の1週間、再実験でほぼ研究室に泊まり込み。食事はペヤングのカップ焼きそばとジャワティ(余談ですが、これ最高の組み合わせだと思っています)でしのぎました。

卒業後、私は研究とは全く違うメディアの世界に身を投じましたが、いまから10年前、番組で最新の分析技術を紹介するという企画レポートがあり、そのなかで先生と仕事の接点を持つことができました。

その内容は……先生が開発したX線を使った分析装置がエジプトに渡り、時価300兆円とも言われる究極の芸術品「ツタンカーメンの黄金のマスク」を世界で初めて分析したというものでした。

先生は早稲田大学・吉村作治名誉教授のグループとともに、分析装置を使ってエジプトの歴史遺産を分析していましたが、そこへエジプトの博物館技師から装置を寄贈して欲しいとの申し出があったそうです。

世界で1台、2000万円近くする装置だけに、おいそれと「ハイ」とは言えず、先生は「ツタンカーメンのマスクを分析させてもらえるなら」という条件を出しました。

大学時代の恩師の話

ツタンカーメン黄金のマスクと“対面”する宇田先生

まさか無理だろうと思っていたら、先方の返事はYES! ちなみにX線はダイヤモンドなど、電子を通さない物質に当てると壊れたり劣化する可能性がありますが、金属や色を持っている物体は電子を通すので問題はありません。黄金のマスクも大丈夫というわけです。

分析は博物館閉館後、厳重な警備の下、行われました。ガラスのケースが外された「生身」のツタンカーメンのマスクは、「神々しい輝き」を放っていたと言います。そして分析の結果、マスクの黄金の輝きには思わぬ秘密が隠されていたことがわかりました。そこには現代でもなし得ない高度な技術があったのです。

マスクは全体が金でできていますが、純金ではなく23金(含有率95.8%)。強度を得るために銀や銅を混ぜてあります。しかし顔の部分だけは全体とはまた違う組成で、白く輝く合金が薄く“化粧”されていました(この合金は「ツタンカーメン・ゴールド」と名付けられた)。

その化粧の厚みは30000分の1ミリ。ちなみにヒトの髪の毛の太さはそのおよそ3000倍、新聞紙の厚さはおよそ40000倍です。30000分の1ミリは単位を直せば30ナノメーター、いわゆる「ナノテクノロジー」の世界。日本は金箔の技術が世界一と言われますが、これをもってしてもツタンカーメンの化粧の3倍の厚さになります。

宇田先生は、古代エジプト人は若くして生涯を閉じたツタンカーメンの若さを表現するため、このような細工を施したのではないかと推測しました。古代エジプト人がなぜこのような高度な加工技術を持っていたのか……まさに歴史のロマンと言えましょう。

そして、分析ができたということは、その逆=復元もできるということになります。研究グループは日本で数ヵ月かけて、この合金とマスクに着色された青(ツタンカーメン・ブルーと名付けられた)を再現。金箔職人、織物職人も参加してこれらを入れ込んだタペストリーをつくり、エジプトの博物館に寄贈しました。

まさに3500年前の古代エジプトの技術が時空を超え、日本の最新技術と伝統技術で再現されたのです。その一大プロジェクトに携わったのが宇田先生でした。

大学時代の恩師の話

宇田先生の著書『いにしえの美しい色』

著書『いにしえの美しい色―X線でその謎に迫る―』のなかで、先生はこう記しています。

「考古学資料、文化財のX線分析は楽しい。まだ誰も分析したことのないものなら、更に楽しい。この分析結果から、予想をはるかに超える昔の人の英知を垣間見ることができるからである」

こうした取り組みは先生の膨大な研究の一部であり、先生は決してマスコミ受けを望んでいたわけではないでしょう。しかし、科学と考古学の融合……文系分野への広い視野と理解があったことは間違いありません。

就職後、不義理を重ねていた私がOB会に参加させていただく機会がありました。全く畑違いに進んだ私はいわば“親不孝者”だったのですが、先生が多くのOBを前に話してくれた一言に救われたような気がしました。「サイエンスの最前線にいる者がここにはたくさんいる。君はどんどん活用したらいい」……。

私は大学卒業後の知識はほぼ皆無です。しかし、取材の際、時としてその大学時代の“ロジック”が役に立つことがあります。地下鉄サリン事件、STAP細胞の論文問題、そして宇宙開発や自動車関連の取材……文系出身だったら、おそらく入口でお手上げだったことも、あのころのおかげで抵抗なく取りかかれたことも少なくありません。

いまだ文系/理系の壁があると感じるメディアにおいて、微力ながら科学技術分野における“橋渡し的”役割を担うことができればと思っています。

昨年(2019年)秋のOB会で、先生は赤いセーターをお召しになり、おしゃれないで立ち。酒で顔を赤らめながら「いやあ、きょうは楽しかった」と温和な笑顔で喜ばれていました。

“宇田研”は永遠です。合掌。(了)

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