信頼を得る言葉の選び方

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フリーアナウンサーの柿崎元子による、メディアとコミュニケーションを中心とするコラム「メディアリテラシー」。今回は「あいまいなことば」について---

信頼を得る言葉の選び方

ニッポン放送「メディアリテラシー」

【まずいのニュアンスはまずい】

食べ物のおいしい季節になって来ました。食欲の秋。スーパーでかぼちゃを買い、甘辛い煮物をつくることにしました。

果たしてうまくできるでしょうか? 出来上がったかぼちゃをひとくち食べてみます。

私「あ……このかぼちゃ、おいしくないね」

夫「うん、おいしくない」

彼は首を横に振りながら答えました。あれ? そこは頷きながら「おいしくない」と言うのでは? 言葉としぐさが合わない気がして変な感覚でした。

日本語にはダイレクトに表現すると、きつく感じる言葉があります。「まずい」もその1つです。「おいしくない」と「まずい」では、大きく印象が違いませんか?

私は“まずいと言うほどではないけれど、おいしくない”というニュアンスで使いました。“おいしい”を否定したから、夫は首を横に振ったのでしょう。このように日本人は、はっきり指摘することや、あからさまに表現することを避ける傾向があります。

信頼を得る言葉の選び方

「メディアリテラシー」

【言質をとらせない言い方】

空気を読む日本人ならではと言ったらよいのでしょうか。日本語には物事をあいまいにする表現がとても多くあります。

「わたし的にはよくないと思います」や、「一緒にやらない? みたいな感じで言われたんです」など、よく使いませんか?

“わたし”に“的”をつけて主語をぼかす。これは、続く“よくない”という単語にマイナスの意味があるからです。「私は悪いと思う」を遠回しに言って衝撃を和らげるのです。

一方、後者は直接「一緒にやろう」と言うと、もしかしたら断られるかも知れない。それは避けたいという気持ちから、「一緒にやらない?」と否定形にした上で、「~みたいな」をつけて、さらにぼやっとした形をつくる……実は、このような言葉を得意としているのが政治の世界の方々です。

日本学術会議が推薦した会員候補6人が任命されなかった問題。菅総理は「推薦の通りに任命すべき義務があるとまでは言えないと考えられる」とし、加藤官房長官も「憲法15条の規定に基づき会議側の推薦通りに任命しなくてもよいと確認した」と話しています。

うーん……非常にわかりにくいですね。相手に理解させようという気持ちがあるとは思えません。言葉をそぎ落としてざっくり、かみ砕いてみましょう。

「任命しなければならないというわけではない」……この形は、「ない」を2回使った二重否定です。これでもストレートに理解できませんが、核心的な意味を避けることができます。「裏の裏は表」ということでしょうか。

このような形は、政治家特有の言質をとらせない発言です。「言った、言わない」と後で追及されないようにする手法です。そうしたあいまいな言葉が、言ってみれば解釈の余地をつくることになります。

信頼を得る言葉の選び方

「メディアリテラシー」

【信頼を得るとは】

判断をつきにくくさせるやり方が、よいのか悪いのかと問われれば、私は悪いと思います。しかし、ここで悪いと言い切るには語弊があります。

それゆえに、よいのか悪いのかではなく、「よいとは言えない」と答えることもあります。コミュニケーションには相手が必ず存在します。正しい日本語を決めるのは目の前の相手であり、相手に違和感をもたれないことが大事なのではないでしょうか。

信頼を得る話し方のコツは、いかに相手に寄り添っているかということだと思います。真摯に向き合っているからこそ、適切な言葉を使うことに気をつかうのです。

日本語には似た意味を持つ言葉が多くあります。それらを使い分ける、文脈や相手によってふさわしい言葉を選ぶことが、私たちには必要です。

例えば、謝罪するときは「失礼しました」「ごめんなさい」「すみません」「申し訳ありません」などを使い分けます。また、感謝は「ありがとう」だけではありません。「恐れ入ります」とも返せます。

言葉を使い分けるには多くの言葉に触れ、知る必要があります。政治家は国民の代表ですから、わかりやすい言葉で伝えることができなければ、信頼などできません。二重否定などのテクニックを使って、煙に巻く手法は勘弁してもらいたいです。

信頼を得る言葉の選び方

「メディアリテラシー」

【日本語のボーダーライン】

ところで、日本語には文の途中でその文章の行方を予測させる言葉が存在します。私たちはそれらを手掛かりにして、文末を推しはかっていることがほとんどです。これは日本語の動詞が最後に来るために、“最後まで聞かないとわからない”という特徴からだと考えています。

例えば、“全然”、“決して”という言葉を使うと、最後は必ず否定の形になります。「全然わかりません」や「決してうそはつきません」といった形です。また、「もしかしたら」や「おそらく」は、「~かも知れない」「~だろう」と推量する言葉につながります。あまりにも普通に使っているので、気が付かないかも知れません。

ただ、最近は「全然おいしい」や「全然平気」などのように、許容できる事例も出て来ています。大事なのはどのような表現が許されるのか、話し相手がこの言葉を聞いたらどう思うのか、想像力を働かせて考えることです。“相手のことを慮る(おもんぱかる)”、これが日本語の特性であり、日本文化なのだと思います。

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「メディアリテラシー」

【かつて「とんでもございません」は誤用だった】

私がアナウンサーになった当時は、“とんでもございません”は誤った日本語でした。

「とんでもありません」あるいは「とんでもないことです」が正しい表現とされていたのです。「とんでもない」がひとつの単語であり、「ございません」に置き換えることはできないからです。

しかし、2007年に文化庁が発表した「敬語の指針」において、これは使ってもよいとされました。その理由は“一般に定着しているから”でした。

このように言葉は時とともに変化し、意味や用法が変わるものです。さまざまな表現があってもおかしくはありません。日本語のいいところはたくさんの単語や表現があり、選択によっては強調もできるし、感覚を薄めることもできる、とてもバラエティに富んだ言葉だというところです。

相手がどういう意味で言っているのか、いまはその表現でよいのか。発した言葉を相手はどう受け止めるのか。そのようなことを考えつつ適切に、言葉を使用したいものです。 (了)

連載情報

柿崎元子のメディアリテラシー

1万人にインタビューした話し方のプロがコミュニケーションのポイントを発信

著者:柿崎元子フリーアナウンサー
テレビ東京、NHKでキャスターを務めたあと、通信社ブルームバーグで企業経営者を中心にのべ1万人にインタビューした実績を持つ。また30年のアナウンサーの経験から、人によって話し方の苦手意識にはある種の法則があることを発見し、伝え方に悩む人向けにパーソナルレッスンやコンサルティングを行なっている。ニッポン放送では週1のニュースデスクを担当。明治学院大学社会学部講師、東京工芸大学芸術学部講師。早稲田大学大学院ファイナンス研究科修士
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