東京都医師会理事で「目々澤医院」院長の目々澤肇氏が6月2日、ニッポン放送「モーニングライフアップ 今日の早起きドクター」に出演。日本で電子カルテが運用されるまでの経緯について解説した。
近くの病院でしかやり取りできない電子カルテの連携システムをつくってしまった
飯田)電子カルテについてですが、電子カルテはいつごろから入って来ていますか?
目々澤)もう二十数年前だったと思います。私の持っている資料によりますと、2000年ごろの「日経メディカル」という雑誌に、「来年辺りには日本中の電子カルテが結ばれる」という記事がありました。それはとんでもない話で、全然実現できていないのですけれどね。当時は、「日本の電子カルテ」が世界でいちばん進んでいたと考えられていました。
飯田)そうなのですか。
目々澤)ところが電子カルテの運用に当たって、いろいろな条件が付いてしまったのです。「連携させるのであれば、ドクター同士がツーカーの地域のなかだけで」ということをどこかの誰かが言い出して、その当時、電子カルテを既につくっていた富士通もそれに合わせた形での病院の連携システムをつくってしまったのです。
飯田)だいぶクローズな、本当に近くの病院でしかやり取りできないものを。
目々澤)そういう形の仕組みでした。
まずは富士通とNECにデータを合わせるところから始めた~そのままだと方言があり通じない
飯田)それは「カルテは個人情報だから」ということもあったのですか?
目々澤)もちろん、そういう情報を院外に出すということ自体も憚られた時代です。ですから、「あくまでも目の届くような範囲内でないとダメ」だという、そんな形でした。でも患者さんはあっちに行ったり、こっちに行ったりしますよね。旅行で北海道に行くこともあり、北海道で病気になることもある。そういうときに、その患者さんが東京でどんな治療を受けていたかということがわかるべきだと。だから私の場合は、広域連携、東京であれば東京全体を1つのネットワークのフィールドとして設定するような、そういう形にするべきだと思いました。1社は富士通、もう1社はNECですが、この2社が東京中の500床以上の病院で、7割~8割のシェアを占めているため、まずこの2つをくっつければいいということで、そこから仕事を始めました。
飯田)メーカーが違うとシステムはまったく違うのですか?
目々澤)まったく違うというよりも、「SS-MIX2」という昔に定められた規格があって、それに乗っ取った文法でつくられていれば情報は流れるはずなのですが、両者の間で方言があって、通じない。
飯田)そのままだと通じない。
目々澤)「IHE」という規格にすると、それが通るようになります。
「IHE」という規格にして通じさせたのが4年前
飯田)ある意味の翻訳のようなものですか?
目々澤)IHEのなかにもまだ細かいものがあって、調整しなくてはいけなかったのですが、無理やり調整をして、そこで始めたのがいまから4年ほど前です。
飯田)4年ほど前となると、日経メディカルが「2000年ごろ」と言ってから、15年くらいが経ったあと。
目々澤)その両者をつなげるために、2億円~3億円もする巨大なサーバーをつくれば、お互いフル規格でコミュニケーションできるのですけれども、それで潰れたネットワークは山ほどあります。
飯田)大きいサーバーを用意しなければいけないと。
大きいサーバーを使わずに情報の往来の維持ができるようにした
目々澤)そういうことになります。そのサーバーをつくらなくてもいい仕組みを、我々は考えたのです。東京都から、このことに対してもらっている援助は2000万です。そんなに多い額ではありません。これで一応、情報の行き来は維持できています。
飯田)サーバーを間に「ドン」と置く形ではない方法で何とかしたと。それを目々澤先生が中心でやられたわけですか?
目々澤)「東京総合医療ネットワーク運営協議会」というものを、東京都医師会が東京都の支援を受けて立ち上げ、そして東京都病院協会に運営を委託する。そういう感じです。
番組情報
医師が週替わりで登場。
飯田浩司アナウンサーと新行市佳アナウンサーが、健康に関する疑問や予防法、症状、治療法などを聞きます