それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
東京都あきる野市にある、卓球専門店「るのスポーツ」。お店と卓球教室を開いているのは、青木龍太さん・52歳です。
青木さんが卓球を始めたのは、高校1年生のとき。東海大菅生高校の卓球部に入り、そこから卓球人生が始まります。高校を卒業した青木さんは、立川の会社に就職。社内でも卓球をやる人が多く、地域の大会に出場するなど、社会人になってからも卓球を続けました。
いまから17年前、青木さんが35歳のときでした。仕事が忙しく、家に帰るのはいつも深夜1時~2時ごろ。子どもと触れ合う時間もないほど、くたくたに疲れる日々が続いていました。そんなある日、実家の母から連絡が入ります。
「お父さんがガンで、『このままだと長くないから、お父さんの夢を叶えさせてあげなよ』と言われたんです。父は卓球が趣味で、僕が高1のときも自宅に卓球場をつくり、夢は卓球教室を開くことだったんです」
悩んだ末、青木さんは会社を辞めて卓球教室を始めようと決意しますが、周囲からは「お前、バカか? 卓球で食えるはずがないだろう」などと、散々なことを言われます。
「あのころ、卓球はマイナースポーツでした。収入も減りましたが、それでも子どもたちの寝顔しか見ない生活よりマシだと思ったし、妻も応援してくれたので、思い切って卓球教室を開いたんです」
「脱サラした素人が卓球で食えるはずがない」……この言葉も青木さんを奮起させました。「俺は日本一を育てる!」という情熱が教え子たちにも伝わり、全国大会に出場するなど、これまでに全国レベルの選手を数多く育てて来ました。
最初は10人ほどだった生徒さんも次第に増えて、いまでは45人ほど。大人を含めると100人近くが、ここで卓球を習っています。
毎週土曜日の午前中、練習にやって来るのは、青梅市に住む斎藤真さん・20歳です。彼が「るのスポーツ」に来たのは、小学1年生のときでした。
最初はボールを1回も打ち返せなかったそうですが、いまでは100回、200回でもラリーを続けることができるようになりました。13年も見守って来た青木さんにとって、斎藤さんは息子のようだと言います。
斎藤さんはダウン症で、普段は福祉作業所に通っています。小さいころ、テレビで卓球を見ているとラケットを振る真似をするので、親御さんが習わせようと地元の卓球クラブを訪ねたところ、「障害のある子はうちでは無理です」と断られてしまったそうです。
そんな事情を聞いた青木さんは、「それは違うな。どうぞ、うちに来てください」と斎藤さんを受け入れます。それがきっかけで、障害を持つお子さんや不登校の子どもたちにも、卓球を教えるようになりました。
「18年間も引きこもりだった人が、うちのクラブに来たことがありました。人を前にするとドキドキしたり、手がふるえたり。そのため、マシンを相手にボールを打ち返す毎日だったんですが、そのうち自信がついたのか、いまは北海道で仕事をされています」
「るのスポーツ」では、小・中学生を中心に卓球を教えています。青木さんは、卓球を通じて人間育成にも力を入れており、「我慢を覚えさせる」「人の話をしっかり聞く」「整理整頓を覚えさせる」……そして、「挨拶」も基本の1つだそうです。
挨拶をしない子がいると、「おい、挨拶だろう!」と青木さんは大きな目で睨みます。
「昔、近所に口うるさいおじさんがいましたが、僕はそんな存在です。僕と対応できれば、きっと社会でも対応できる……そう思っています」
青木さんは、「毎日コツコツやるだけだ」というのが好きな言葉だそうです。
「継続は力だということを、斎藤さんが身をもって教えてくれました。とにかく情熱が大事です。情熱があれば、子どもたちも情熱で返してくれる。そして、しっかりした『志』を持たせることです」
「志を持て。そこに君の喜びがあるはずだ」と言う青木さん。その情熱は、卓球教室を始めてから一度も変わることはありません。
番組情報
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