清元節・浄瑠璃方の清元美寿太 「清元節」とは

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黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「あさナビ」(11月23日放送)に清元節・浄瑠璃方の清元美寿太夫が出演。太夫として育った環境、また、清元節について語った。

清元美寿太夫

黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「あさナビ」。11月15日(月)~11月19日(金)のゲストは清元節・浄瑠璃方の清元美寿太夫。2日目は、太夫として育った環境、清元節について---

黒木)浄瑠璃の1つの流派である清元節の太夫として、多くの方を魅了している清元さんですけれども、ご両親も清元でお兄さんは人間国宝の初代清元榮三さんです。子どものころから浄瑠璃、清元節が周りにある環境で育てられたということですね。

清元)そうですね。

黒木)そのころからご自分も浄瑠璃の世界、太夫の世界に行くというように思っていらっしゃったのですか?

清元)4歳で清元を親から教わりましたけれども、本はまだ読ませんので、口写しで教わりました。4歳からそういう環境で歌っておりまして、小学校に入り、よそのお師匠さんに今度は本格的に教わるわけです。そういう1つの道を辿って行きます。そういう環境なので、「ご飯より好き」というくらいでないと続きません。私はこの世界をずっと歩んで来ましたけれども、そう思います。

黒木)そうですよね。伺ったところ、2021年10月には歌舞伎座に出ていらしたということなのですけれども、亡くなられた中村勘三郎さんの初舞台のときに太夫を務められたのですか?

清元)私も歌舞伎座の初舞台でした。そのとき中村さんは3歳で桃太郎、私が17歳で歌舞伎座の初舞台です。それからずっと楽屋でお会いしたり芝居でもご一緒しました。

黒木)年齢は離れていらっしゃいますけれども、同期でいらっしゃるのですね。

清元)そうですね。

黒木)清元節ならではのしきたりなどはあるのですか? 他と違うところというのはあるのですか?

清元)ご一緒になってみると、多少、お三味線の手が少し違うかなというのと、歌の扱いが我々と違うかなという程度で、基本的には変わらないです。

黒木)何もない素浄瑠璃というのもあるということですが。

清元)「素演奏」と言いまして、舞踊家さん、歌舞伎の俳優さんがいらっしゃらない舞台で清元だけを演奏するということを素演奏、素浄瑠璃と言います。それが我々は基本なのです。それできちんとした歌を歌えて、三味線が弾けなくてはなりません。そればできなければ、踊りを踊る方の伴奏も難しくなります。基本をしっかりやるということでは、この素演奏がとても大事になります。

黒木)清元節の素演奏の公演、舞台というのもあるのですか?

清元)このコロナ禍になる前は、年間にだいたい4回くらいはありました。コロナになりましたので、少し回数は少なくなりましたけれども。

黒木)本番の前はどのくらい発声練習をなさるのですか?

清元)起きて最低1時間は経たないとウォーミングアップが始まらないのです。それから少しずつ軽くして行って、それを舞台へ行く最低2時間前には終わっていないといけないのです。ですから1時間やって休憩して、もう1度調整をし直して、それで1~2時間くらいの間を置いて本番に臨むというのがいちばんの理想です。

清元美寿太夫

清元美寿太夫(きよもと・よしじゅだゆう)/ 清元節・浄瑠璃方

■1943年・昭和18年、東京都生まれ。
■父は清元若寿太夫。母は清元延若福。兄は初代清元榮三(人間国宝:故人)。
■1956年、六代目清元延寿太夫、三代目清元栄次郎(後の初代清元栄寿郎)に師事。
■1959年、美寿太夫の名を許される。新橋演舞場「西川流鯉風会」の「梅川」他で初舞台。歌舞伎座「昔噺桃太郎」で歌舞伎の初舞台。
■1977年、京都南座「夕顔棚」で初めて歌舞伎の立語りを勤める。
■1986年、LPアルバム「清元榮三・(・)清元美寿太夫花吟集」を発表。
■2014年、文化庁芸術祭賞(音楽部門)大賞を受賞。2014年、重要無形文化財清元節保持者として認定。清元協会理事に就任。2014年度芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
■この他、1969年ごろから宮薗節を宮薗千之に師事、宮薗千弘太夫を名乗る。1983年ごろから地唄を富崎冨美代に師事、富柳美寿を名乗る。
■2021年、「第51回ENEOS音楽賞・邦楽部門」を受賞。

 

番組情報

ENEOSプレゼンツ あさナビ

毎週月曜〜金曜 6:43 - 6:49

番組HP

毎朝、さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、朝の活力になるお話をうかがっていく「あさナビ」。ナビゲーター:黒木瞳

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