それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
現在、中国・北京で冬季オリンピックが行われています。オリンピックは新しいものを生みますが、その代償を求められることもあります。24年前の長野オリンピックでは、北陸新幹線が長野まで開業しました。しかし、碓氷峠を越える鉄道は、釜めしの売り声とともになくなりました。
およそ60年前の東京では、首都高速道路ができましたが、日本橋は空を失いました。羽田空港へはモノレールが開業しましたが、代わりに失ったものがあります。それが、江戸時代からの歴史を誇っていた、東京・大森の「海苔づくり」です。
東京の海苔づくりの歴史を現代に伝える施設があります。大田区の「大森 海苔のふるさと館」です。
ここに勤める滝本彩佳さんは、平成生まれの30歳。学生時代は、海苔と同じ海の生き物である珪藻(けいそう)を研究し、南極海で海洋調査にも従事したことがあるという、根っからの海好きです。
いまから5年ほど前、滝本さんは上司から1つの仕事を頼まれました。
「滝本さんには、今年度から海苔づくりの再現を担当していただきます」
「大森 海苔のふるさと館」は開館した2008年から、かつて海苔づくりの一大生産地として栄えた地域の歴史を伝えるため、大田区内にある人工の浜辺で海苔養殖風景の再現に取り組んでいます。
最初の年は収穫できましたが、その後はずっと不作で2016年に一度収穫できただけ。この厳しい状況にもかかわらず、海が大好きな滝本さんは思いました。
「自分の好きな海の仕事をさせてもらえるなんてありがたい!」
真冬の冷たい東京湾で、滝本さんの「海苔」との格闘が始まりました。
「大森 海苔のふるさと館」による海苔養殖風景の再現は、大田区内の元・海苔生産者の方に教えを請いながら、ボランティアの皆さんと一緒に行っています。およそ60年前の生産者の皆さんは、かなり年齢を重ねているものの、威勢のいい方ばかりです。
しかし、職人気質の皆さんが手取り足取り教えてくれるはずもありません。まるで漁師さんに弟子入りしたかのように、背中を見ながら仕事を覚えて行きました。海苔づくりの作業を覚えて来たころ、滝本さんはふと思いました。
「なぜ海苔が伸びないのか、しっかりデータを取ってみよう」
滝本さんは海苔が育つ冬場を中心に、水温や塩分を毎日こまめに計測して行きました。その結果、大森周辺の海は、海苔の生育には問題ないこともわかりました。海苔が伸びる長さも少しずつ増え、手ごたえを感じられる年も出て来たそうです。
「今年は順調に海苔が伸びている!」
ある年は、そう確信した矢先、真冬にまさかの大雨。東京湾に大量の雨水が流れ込んでしまい、海苔がほぼ全滅してしまったこともあります。海苔を我が子のように育てていた滝本さんも、心が折れそうになりました。ただ、海水の計測を続けていると、小さな発見があったそうです。
「死んでしまったと思っていた海苔が、また芽吹き始めている……すごい生命力だ。私も負けていられない!」
滝本さんは、昔の漁師さんだけではなく、現代の海の環境で海苔を育てているような、現役の漁師さんたちの養殖方法も取り入れて行くことにしました。その1つに、鳥や魚から海苔を保護するネットがあります。鳥のカモや魚のクロダイは、「海苔」が大好物なのだそうです。
一昨年(2020年)の秋にネットを取り入れると、これまでずっと伸びなかった海苔が、昨シーズンは5年ぶりに成長し、4.5キロも収穫することができました。さらに今シーズンは改良を加え、天候にも恵まれたことで倍の9キロ、焼海苔にしておよそ500枚分もの海苔を収穫できたそうです。
「大森 海苔のふるさと館」では冬場、生海苔から板海苔をつくる「海苔つけ体験」が人気を集めます。「これまで何気なく1枚の海苔を食べていましたが、これからは大事にいただきます」……参加された人たちから、こんな声を聴くのが本当に嬉しいと言う滝本さん。
「海苔が成長した姿も見せられるようになって来たことで、大森の海苔の歴史と海苔づくりのすごさを、私も実感を持って来館者の皆さんに伝えられます」
冷たい海風を頬に感じながらも、滝本さんの声は弾んでいます。
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