「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。
沖縄の本土復帰から50年。残念ながら、いまも沖縄にはモノレール以外の鉄道がなく、100年続いているような駅弁文化もないため、「駅弁膝栗毛」としてはご紹介しにくいもの。そんななか、横浜駅弁・崎陽軒がテレビドラマをきっかけとした自治体の呼びかけによるプロジェクトに参加。沖縄料理を詰め合わせて、崎陽軒ならではのお弁当を発売しました。まずは、横浜と沖縄をつないだ京浜工業地帯を、鉄道で巡ってみることにしましょう。
2022年は日本の鉄道150年。新橋~横浜間に開業した最初の鉄道には、品川、川崎、鶴見、神奈川の4駅が設けられました。その最初の駅の1つ、鶴見駅から分岐するのが「鶴見線」です。昭和初期、京浜間の海岸が埋め立てられて、京浜工業地帯が形成され、その貨物線として敷設された鶴見臨海鉄道などに由来し、戦時中に国有化されました。現在も朝夕を中心にダイヤが組まれ、工場等へ通う多くの方が利用しています。
(参考)品川区、川崎市ホームページほか
鶴見線には2つの「支線」があります。1つは浅野駅から分岐する「海芝浦支線」。終着・海芝浦は、海(京浜運河)がホームの真横に迫る駅として知られ、首都高速道路湾岸線の鶴見つばさ橋を望むことができます。ただ、大手企業の敷地内にある駅(路線)のため、企業が整備した公園以外は、改札から外に出られないことでも有名です。朝夕の列車は多く設定されていますが、日中は、約80分に1本の列車が走るローカル線でもあります。
もう1つの支線「大川支線」は、朝夕だけ列車が運行される路線。平日は朝4往復、夕方5往復。週末は朝2往復、夕方1往復のみ列車が設定されています。“乗りつぶし”をされている鉄道趣味の方には、“難易度”が高い路線としても知られています。現在は、安善駅から分岐していますが、平成8(1996)年までは、1つ先の武蔵白石駅から分岐、いわゆる「旧型国電」が最後まで活躍していました。
鶴見線の電車が走る横浜市鶴見区から川崎市には、大正時代から昭和初期にかけて、沖縄から京浜工業地帯へ出稼ぎに来た人たちが移住、全国有数の沖縄タウンとなりました。本土復帰50年の2022年は、テレビドラマの舞台にもなっており、鶴見区役所の呼びかけで官民学が連携し「ちむどんどん横浜鶴見プロジェクト」を展開。横浜駅弁・崎陽軒もこの取り組みに参加し、「ちむどんどんする横浜・沖縄弁当」(1080円)を5月13日に発売、横浜・川崎市内の店舗・約50店で販売しています(9月末までの予定)。
【おしながき】
・三浦産芽ひじき入りジューシー (トッピング:山せり)
・鮪の漬け焼入りゴーヤチャンプルー
・さかな天ぷら
・沖縄県産もずくのシークヮーサー入りサラダ
・昔ながらのシウマイ3個
・人参煮
・蓮根煮
・千切り生姜
・沖縄県産黒糖入りわらび餅
鶴見つばさ橋が描かれた掛け紙とふたを外すと、メインのご飯は沖縄の炊き込みご飯を崎陽軒風にアレンジした「三浦産芽ひじき入りジューシー」。これに「鮪の漬け焼入りゴーヤチャンプルー」など、神奈川ゆかりの食材を使った沖縄料理の構成が食欲をそそります。現地・沖縄には伝統的な「駅弁」がないだけに、「沖縄料理で駅弁を作るとこうなるか」と、プチ“ちむどんどん(胸が高鳴る気持ち)”気分も味わいました。
鶴見線では、昭和の終わりから平成にかけて、東京の山手線をぐるぐる走っていた車両などが、顔を変えていまも活躍しています。首都圏の各路線では、この時代に生まれた車両の世代交代が進んでいます。いずれにしても朝夕の通勤時間帯を外せば、のどかなローカル線気分が楽しめる鶴見線。日本有数の工業地帯を眺め、沖縄文化が息づくまちを訪ねながら、いままで気づかなかった新たな胸の高鳴りを感じてみてはいかがでしょうか。
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連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/