新青森駅弁「つがる惣菜」の弁当は、なぜユニークな名前なのか?
公開: 更新:
「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。
青森県五所川原市は、人口5万人あまりのまち。例年8月のはじめには、3台の巨大な人形灯籠「立佞武多(たちねぷた)」が市街地を練り歩き、いちばんのにぎわいを見せます。この五所川原を拠点に弁当を製造する「つがる惣菜」は、その名の通り、スーパーの惣菜売場をルーツに持つ個人商店。現在は、「ひとくちだらけ」、「お魚だらけ」、「ふつうの津軽の幕の内弁当」という3つの弁当を、新青森・弘前・東京の各駅に納めています。
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第43弾・つがる惣菜編(第2回/全3回)
奥羽本線の特急「つがる」号が、津軽平野の水田のなかを駆け抜けていきます。秋田~青森間を1日3往復している「つがる」ですが、青森発の列車は最初に停まる新青森で東北新幹線・北海道新幹線と接続し、弘前や大館への快適な移動手段となっています。普通列車は通勤タイプの車両が多い区間だけに、「つがる」なら、リクライニングシートでゆったりと駅弁を楽しみやすいですね。
列車の高速化に伴って、全国的に駅弁業者の数は減少傾向ですが、青森県では、平成22(2010)年の東北新幹線全線開業に合わせて、県を挙げて「駅弁」の開発に取り組み、いまも4業者がJRの駅に納める弁当を製造しています。なかでも五所川原市が拠点の「つがる惣菜」は、駅弁業者としては希少な“個人商店”。しかし、ユニークなアイデアと丁寧な弁当作りで、「駅弁味の陣」では高評価を受け、東京駅への販路も持っています。
下川原伸彦(しもがわら・のぶひこ) つがる惣菜 代表
昭和54(1979)年10月5日生まれ(43歳)、青森県五所川原市出身。高校卒業後上京、アルバイトをきっかけに飲食業界を経験して33歳でふるさとに戻る。平成26(2014)年、勇退したお父様の後を継いで、3代目の代表に就任。
●ルーツは、スーパーの惣菜売り場!
―「つがる惣菜」は、平成2(1990)年、スーパーマーケット「主婦の店」の惣菜工場から始まったそうですね?
下川原:スーパーを開業したのは私の祖母でした。最大で青森県内にスーパーを4店舗、コンビニを2店舗展開していました。最初はスーパーの惣菜部門でしたが、当時は人気があって、それぞれのお店で惣菜を作るのは手狭になってしまいました。そこで新たに惣菜センターを立ち上げ、機械化・効率化を図ることになりました。従業員にはスーパー時代からの人もいますし、地元には、いまも弊社のことを「(惣菜)センター」と呼ぶ方もいます。
―平成11(1999)年、独自の会社となった背景には何があったんですか?
下川原:父の代ですが、平成に入って、青森にもジャスコ(現・イオン)やイトーヨーカドーといった大規模小売店舗が進出してきました。(経営が厳しいことから)この年の年末で、スーパーを閉鎖することにしました。しかし、惣菜センターには年末年始のさまざまなオーダーをいただいていたこともあって、この注文に応えるため、惣菜部門は残すことにしたんです。それが(引き続き、ご用命をいただいたことで)「つがる惣菜」として、現在にいたります。
●東北新幹線全線開業を機に、「あおもり駅弁塾」で学んで駅弁へ!
―平成22(2010)年、「駅弁」に参入することになったきっかけは?
下川原:東北新幹線全線開業を前に青森県が開いた「あおもり駅弁塾」に父が参加しました。当初は約50社が参加して駅弁作りを学んでいましたが、最終的に5社に絞られたと言います。(当時あった日本レストランエンタプライズの)盛岡の製造現場で徹頭徹尾、衛生管理を学んだそうです。「太宰治生誕百周年記念弁当 津軽」「津軽金山焼弁当」、「青森!やっぱり ほたてだべ~!」といった駅弁を開発して開業の日を迎えました。
―惣菜弁当と「駅弁」、どんな違いがありましたか?
下川原:(駅弁を学んでいくなかで)いわゆる「ハレとケ」の違いがあると感じたと言います。そこで、駅弁には旅を楽しむ“お祭り意識”を盛り込みました。そして、いかに地域色を出すかということに苦心しました。太宰治の好物を盛り込んだ幕の内弁当「津軽」は、太宰治生誕百周年記念の演劇とタイアップしたこともあって、ご注文を多くいただいた時期もあったんですが、正直なところ、新青森駅に置いても思うように売れませんでした。
●売れ行きが伸び悩み、一度は心が折れそうになった「駅弁」づくり
―その後、つがる惣菜の弁当には少しユニークな「○○だらけ」という名前の弁当が増えていきましたね。
下川原:父のアイデアですが、駅弁に関する本を読み漁ったり、いろいろなところに出かけ駅弁をいただいたり、朝から晩まで「駅弁」のことを考えたと言います。「○○だらけ」という言葉は、あまりいい意味では使われませんが、青森の美味しい魚や肉がいっぱい入っていることを伝えるために、親しみを込めて「○○だらけ」と名付けたそうです。「焼肉だらけ」が最初と記憶していますが、お客様の反応も良く、覚えやすいと言ってくれたと言います。
―代表は、お父様から経営を受け継がれましたが、どんなことに取り組まれましたか?
下川原:「津軽」や「ほたてだべ~」「LOVEあおもり」などの弁当を作って、東京駅等でも販売機会をいただきましたが、ヒットに恵まれませんでした。そこで商品を絞り込むことにしました。でも、全部失くしてしまうのは惜しいので、いいところを集める形で平成30(2018)年に「ひとくちだらけ」を開発しました。それでも売れ行きが思わしくなく、JR盛岡支社さんに駅弁をやめたいと相談した矢先、JRの本社さんから1通のメールが届いたんです。
ユニークなネーミングが目を引く「つがる惣菜」の弁当。「ふつうの津軽の幕の内弁当」(1100円)も、敢えて“ふつうの”と銘打ったところに、こだわりを感じます。掛け紙にはさりげなく、津軽の伝統的な刺し子、藍染の生地に白い糸を刺して模様を作る「こぎん刺し」がデザインされています。現在は、令和3(2021)年に世界文化遺産への登録が決まった「北海道・北東北の縄文遺跡群」の登録を祝う文言が入ったバージョンとなっています。
【おしながき】
・ご飯(青森県産つがるロマン使用)
・しまほっけの漬け焼き
・手作り玉子焼き
・イカメンチ
・ほたての唐揚げ
・ほたて黄金焼き
・煮物(人参、ごぼう、高野豆腐)
・なすのしそ巻き
・すしこ
・菊のおひたし
・きゅうりの漬物
新青森駅の駅弁売場でお客さんの駅弁選びを観察していると、「あら、幕の内があるわよ、幕の内」と言って、この弁当を選んでいく方を見かけます。“たぶんこの方は弁当のふたを開けてビックリするんだろうなぁ”と想像すると、思わずクスッとなります。焼魚はシマホッケ、イカメンチ、なすのしそ巻きなど、津軽の“ふつう”の食事が満載です。改めて“ふつうとは何か”考えさせられるいい駅弁。津軽と自分の“ふつう”のギャップを楽しみたいものです。
日本最北の私鉄・津軽鉄道のディーゼルカーが、岩木山に見守られるようにして、津軽平野を軽快に走っていきます。始発の津軽五所川原駅は、JR五所川原駅に隣接して、同じ跨線橋を使用しています。冬のストーブ列車が有名ですが、夏は「風鈴列車」、秋は「鈴虫列車」を運行。季節を感じて、太宰治のふるさと・金木や昔の駅舎がカフェになった芦野公園へ足を運べば、より一層、津軽を満喫する旅が楽しめます。
この記事の画像(全10枚)
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/