売れない芸人時代、カミナリはなぜ「コントから漫才」に変えたのか
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ニッポン放送「すくすく育て 子どもの未来健康プロジェクト」(12月3日放送)に、お笑いコンビ・カミナリの石田たくみが出演。芸人を志した際の心境について語った。
尾木直樹:石田たくみさんは中学・高校の第一種免許(英語)を持っていると伺いました。教育実習もされたのですか?
石田:自分が通っていた中学校で行いました。放課後にはバスケ部の練習を見たりもしました。僕は中学生のときに全国大会に出場したので、その写真が体育館に飾ってあるのです。だから「全国大会に出場した先生」みたいな感じでした。
淵澤由樹(アシスタント):先生になりたかったのですか?
石田:もともと、うちの母が小学校の先生だったのです。僕は高校生ぐらいから本格的にお笑い芸人になりたくて、大学を卒業したら芸人を目指す予定でした。それを話したところ、母は「芸人は必ずしも成功する職業ではないから、資格を獲って欲しい」と。また、自分も学校の先生だったので「教師の資格を獲って欲しい。資格を獲れば何をやってもいいよ」と言ってくれました。
尾木:そして、大学卒業後は芸人の道に進むのですね。
石田:幼馴染の、まなぶと一緒にやっていたのですが、彼は2浪して早稲田大学に行きました。僕が大学を卒業したタイミングで芸人の世界に入ったので、まなぶは早稲田に通いながら芸人をやっていたのです。当時は地元の友達と3人で共同生活していましたが、僕はアルバイトばかりで、まなぶも学校に通い……空いている時間に「お笑いライブのため」という感じで、宿題感覚でネタをつくりました。目的を見失っていましたね。
淵澤:「学校の先生になった方がよかった」と思ったことはありますか?
石田:僕自身はなかったのですが、母から一度、「学校の先生になって生徒を笑わせるのと(芸人としてお客さんを笑わせることの)何が違うの?」と言われたことがあります。でも、僕は「30歳まで待って」とお願いしました。
尾木:やがて、「M-1グランプリ2016」ファイナリストとして大ブレイクしますが、当時の心境を覚えていますか?
石田:めちゃめちゃ嬉しかったですね。最初はコントをやっていたのですが、全然ダメでした。僕が学校の先生役、まなぶが生徒役というコントでした。でも、演技しないといけないので、しっくりこなくて……。「たくみ・まなぶとして、素でできるお笑いはないか」と考え、それが漫才だったのです。ちょうど結婚して子どもが生まれたタイミングでもあり、「本当に面白いネタをつくらないといけない」という芸人魂を込め、プロとしてネタをつくりました。その結果、M-1グランプリのファイナルに進めました。また、近い時期にまなぶが早稲田大学を中退したのも大きかったです。
番組情報
この番組は、子育てで日々奮闘しているママやパパ、そしておじいちゃん、おばあちゃん、ご近所さんなど、子育てに関わる皆様に、役立つ情報を提供してゆく子育て応援プログラムです。
ナビゲーター:尾木直樹 アシスタント:淵澤由樹(フリーアナウンサー)