それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
「日本三大うちわ」といえば、京都の「京うちわ」、香川・丸亀の「丸亀うちわ」、そして、もう一つが、千葉・房総半島で作られている「房州うちわ」です。
房州うちわのルーツは、江戸・日本橋にありましたが、関東大震災で職人さんが、竹の生産が盛んな房総半島に移り住んだことで、「房州うちわ」として発展してきました。
この「房州うちわ」をはじめ、地元産の竹を使って、様々な工芸品を手掛けているのが、「木更津竹工房 竹星」を営む、石山好美さん(39)です。
石山さんのご自宅には昔、「竹垣」がありました。中学生の頃には、「篠笛」を習ったことで、竹の工芸品に興味を持ちます。
『私もこの千葉で、何か、ものづくりをしたい!』
そう思った石山さんは、高校卒業後、竹の職人を目指して京都の専門学校に進学します。そのまま京都で、竹を専門に扱う会社に就職して、およそ7年間、「竹垣」づくりに従事。
そして、いまから10年前、2014年の今ごろ、ふるさと・木更津に戻ってくると、こんな新聞記事が目に留まりました。
『房州うちわ、生産真っ盛り! 課題は後継者不足』
石山さんは、後継者不足という言葉が気になりました。
『房州うちわは、小さい頃から身近にあったし、竹のことなら多少は知っていると思う。もしかしたら、私が役に立てるのではないか?』
石山さんは、房州うちわの名人・宇山正男さんのもとを何度も訪ねて、何とか弟子にしてもらいます。師匠の横で、手の動きや指の使い方を見ながら、うちわの作り方を学んでいきました。ときには一定の技のレベルに達していないと、厳しい言葉が飛ぶこともありました。
そんな修業を続けること3年、石山さんは、師匠からこんな言葉をかけられます。
「いいか、自分で『出来た』と思ったとしても、常に『出来ていない』と思っておきなさい」
いままでにない師匠の言葉に、石山さんは独立の時がやってきたことを感じ取りました。
いよいよ、自らの工房でのうちわ作りが、本格的に始まることになりました。
晴れてうちわ職人となった石山好美さんですが、手にしたのは、うちわ作りの技術だけでした。どんなに丹精込めてうちわを作っても、売る場所が全くありません。
そこで、石山さんは、百貨店を訪ね歩いて、伝統工芸品の催事に販路を求めます。地域のクラフト教室など、小さなイベントにも、こまめに顔を出していきました。
ただ、百貨店への出店が叶っても、今度はどうやって売ったらいいのか分かりません。うちわについてアレコレ話しても、お客さんの心には響いていませんでした。
そこで、同じようにブースを構えているほかの職人さんに、どうやって売っているのか、お客さんが喜ぶ話題は何かを聞いたりしながら、石山さんは営業力を磨いていきました。
そのなかで、石山さんは改めて「房州うちわ」の魅力を実感します。
「房州うちわは、様々なうちわのなかでも、とくに手間がかかっていると思います」
それというのも、ほかのうちわは、いわゆる普通の竹・孟宗竹を割って、作りますが、「房州うちわ」は、細い「女竹」を一本使って作るからです。持ち手は丸くなって持ちやすい分、細長い筒状の竹を平面にする必要があるために、職人さんは一層、繊細な作業が求められるというわけなんですね。
「でも、房州うちわは、細くてしなやかな竹を使っているからこそ、ふんわりと頬を撫でるようなやわらかい風を生み出すことが出来るんです!」
そう、誇らしく話す石山さんには、二つの夢があります。
一つは、房州うちわの「価値」をもっと高めること。そして、若い世代が安心して職人の道へ入れるような道筋を作って、次の世代へバトンを渡したいと考えています。
もう一つは、房州うちわの「海外進出」です。
じつは今月、石山さんは初めて海外で「房州うちわ」作りのワークショップを開きました。アメリカ・フロリダの会場では、ニッポンの「うちわ」という文化に触れた地元の皆さんが、口々に「楽しい!」と話してくれたといいます。
追い風、向かい風、いろいろな風を浴びてきた石山さんですが、技への探求心は、留まるところを知りません。
「本当に竹の割り方ひとつで、風のやさしさは変わるんです。一人一人にどうやって心地よい風を届けるのか……。そこが今、一番こだわっているところです」
石山さんこだわりの「房州うちわ」が、この夏もやさしい風を届けます。
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