開会式に先駆けて、パリオリンピック™の競技が始まっています。まさに今、世界のトップアスリートが、フランス・パリに大集結しているわけですが、一方でパリは、世界から様々な料理人が集まる「食の都」でもあります。
それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
今回は、秋田からパリに進出した駅弁屋さんのお話です。
東京・渋谷のシンボル・ハチ公のふるさと、秋田県大館市。まちの玄関口・JR大館駅の名物駅弁といえば、「鶏めし弁当」です。
この駅弁を製造する「株式会社花善」は、1899年の創業。今年で125周年を迎える老舗の業者です。
花善には、フランスに「パリ花善」という子会社があります。全国に100近くある駅弁屋さんのなかでも、パリに現地法人のあるお店は「花善」だけ。いまから5年ほど前、パリへの進出に取り組んだのは、八代目の八木橋秀一社長です。
八木橋さんは、東京・中野区出身。20代の頃、母親の実家である「花善」へ修業に行くと、お店を切り盛りしていた祖母が体調を崩し、そのまま後継者を任されて大館在住となり、家庭を持ちました。
2010年代に入ると、東日本エリアで駅弁の人気投票が行われるようになり、「鶏めし弁当」や「比内地鶏の鶏めし」をはじめとした名物駅弁がトップに輝きます。八木橋さんも、お店のかじ取りに手応えを感じるようになっていきました。
そんな折、中学3年生になった息子さんが、ヨーロッパに留学する機会に恵まれます。息子さんは、パリを拠点に世界をまたにかけて活躍するデザイナーのお子さんと友達になって日本に帰ってきました。
八木橋さんは、久しぶりに顔を合わせた息子さんに開口一番、こう話しかけました。
「どうだ、ウチの駅弁が日本一になったぞ! スゴいだろう?」
すると、息子さんは、思いもよらない言葉を返してきました。
「だっせぇ! 所詮、日本でしょ?」
ハッとした八木橋さんは、思わず、息子さんとこんな約束をしてしまいます。
「だったら、同じ土俵に立ってやるよ。駅弁だって『パリ』へ行ってやろうじゃないか!」
駅弁でパリを目指すことになった、秋田・大館「花善」の八代目・八木橋秀一さん。しかし、パリにお店を出すことは、一朝一夕にはいきません。
弁当作りの上で、大きな課題は「水」でした。
日本の水は「軟水」ですが、フランスの水は「硬水」です。そのままでは、日本と同じように、おいしくご飯を炊くことが出来ません。八木橋さんは、試行錯誤を繰り返しながら、弁当を作り上げていきました。
そして2019年、八木橋さんは、パリの街なかにお店を開きます。このお店を拠点に、パリ・リヨン駅の「駅弁」のコンペに参加しますが……残念ながら落選。
日本では120年あまりの歴史があるとはいっても、フランスではぽっと出のお店です。フランス国鉄は、なかなか相手にしてくれませんでした。それでもめげずにチャレンジを続けて2021年、パリ花善は、フランス国鉄に認められ、パリ・リヨン駅で、半年限定ながら、「駅弁」の販売にこぎつけます。
看板商品は、稲庭うどんやきりたんぽが入った、「ラ・プロバンス・ド・アキタベントウ」。秋田名物がいっぱいのお弁当が駅に並ぶと、次から次へと売れていきました。
順調に滑り出したかに見えた矢先、フランス国鉄がまさかの通達を出します。新型コロナウイルスの再流行のため、列車内での飲食を全面禁止してしまいました。
お店は売り上げが6割も減少、でも、八木橋さんは、この数字に心が躍りました。
『列車のなかで駅弁を食べるという日本のカルチャーが、フランスにも届いていたんだ!』
再び列車の飲食が解禁されると、駅のお店を訪ねるお客さんも増えてきました。
「おいしかったから、また来たよ!」
味にこだわりのあるパリの人たちから、そんな声をかけてもらうと、八木橋さんは嬉しさが止まりませんでした。
日本の会社が、フランスで「駅弁」を継続的に販売するには、まだまだ大きな壁がありますが、いまも八木橋さんは、秋田とフランスを行ったり来たりする日々を送っています。
じつは今月、八木橋さんは、ちょっと嬉しいことがありました。かつて、八木橋さんに「だっせぇ!」と言っていた息子さんが、花善が誇る「鶏めし」作りの修業を始めてくれたのです。その思いに、八木橋さんも父親の顔で熱く語ってくれました。
「もう一度、チャレンジしますよ。ニッポンの駅弁文化を世界へ発信するために……」