ビジネスのトップシーンで活躍する方や気になる時事問題を読み解くスペシャリストを迎えて、お話を伺っていく『スルミ presents トップジャム』。
今日は、番組パートナーの株式会社スルミ 代表の石塚翼さんはお仕事の都合でお休み。放送作家のオークラさんをゲストに迎え、福田アナと1対1のトークを繰り広げてくれました。はじめはちょっと緊張している様子のお二人でしたが……。
福田:ゲストは放送作家のオークラさんです。急遽、1対1で、ということなんですけれども、お話を聞かせていただきたいと思います。
まずはプロフィールをご紹介してまいります。大倉さんは群馬県出身。お笑いコンビとして活動を始めますが、コンビ解散後、バナナマンの設楽統さんに声をかけられたことで、放送作家に転身。バナナマン、東京03のコントライブに携わる中で、バラエティー番組の放送作家としても活躍。最近はバラエティーだけでなく、『ドラゴン桜』『イップス』など人気ドラマの脚本も手がけています。
元々お笑いコンビとして活動されていたということですが、そこから設楽さんに声をかけられて放送作家に。
オークラ:僕は1973年生まれなんですが、大体高校生ぐらいのときにダウンタウンさんが出てきて全国で名前を轟かせ始めたんですけれども。多分そのとき、僕ら世代って、いわゆる学校で面白い人たちがお笑いやるんじゃなくて、意外に学校で影をひそめている人たち、いまで言う陰キャみたいな人たちに「お笑いって本当は面白いんだぞ」っていうような啓蒙思想があったっていうか。だから僕らの世代で、芸人が増えたと思うんですよね。
福田:その頃もネタを書かれたりとかっていう。
オークラ:書いてましたね。
福田:その経験もあって、設楽さんに「放送作家になっては?」って声かけられたってことでしょうか。
オークラ:そこら辺が複雑なんですけど。お笑いを好きになって、(地元の)群馬から東京に来るとお笑いに関係するいろんなカルチャーがあることを知ったんですよ。
演劇とかもそうです。三谷さんの『笑の大学』とか「ナイロン100℃」とか、1980年代にシティボーイズさん、いとうせいこうさん、竹中竹中直人さんが一緒にやっていた「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」っていうコントユニットとか。いろんなカルチャーが集まって日本のラップがそこから生まれたりとか。そういうのを初めて知って、僕もこういうのやりたいなっていう。
でも自分の芝居力とか演技力がないことに気づいて。誰か一緒にできないかなと思ってたら、当時バナナマンがライブシーンで天才と呼ばれてたんですよ。この人たちだったらできるんじゃないかと思って、バナナマンに近づいていったんです。
それで仲良くなったときに、突然、僕の相方がいなくなってしまって。そしたら設楽さんが「俺たちを手伝えば」っていうので、バナナマンと一緒にやるようになったのが最初の作家スタートですね。放送作家というより、バナナマンの手伝いをするっていうニュアンスで始まったんですけど。
福田:バナナマンさんのお手伝いから始まって、いまは放送作家・脚本家っていうふうに活躍されてますけど、ひと言で放送作家といっても幅広いお仕事ですよね。
オークラ:そうなんですよね。放送作家っていうのは日本にしかないって言われてます。結構ふわっとしてるんだと思うんですよ。だから最初の頃は、「名刺に放送作家って書けばもう放送作家だよ」って言われたことがあるぐらい。
放送業界に関わる何をやっても、たとえばラジオしかやらない人もいれば、テレビしかやらない人もいる。スポーツ番組専門の人もいれば、バラエティー専門の人がいる、そういう職業だと思うんですね。ただ僕らの時代、放送作家はテレビ業界でスター職業的な時代があった。
福田:輝かしい!
オークラ:鈴木おさむさんがその時代のリーダーみたいになったときがあって、放送作家=イケてる職業みたいな感じだったんで。レギュラー本数がいかに多いやつがそいつの実力、みたいな時代でした。若手の頃、「レギュラー何本?」て、すぐ聞かれたんですよ。知らないプロデューサーには「そんだけやって売れっ子だね。すごい放送作家さんなんだね」っていう。
福田:それって大変ですよね。
オークラ:そんだけ掛け持ちしてるってことは1個1個の仕事がずさんになる人と思うんですけどね。
福田:1本にかけられる時間は短くなるということですよね、単純計算すると。
オークラ:放送作家がヒット番組を掛け持つようになってくると、放送作家自体がヒット番組の秘訣を情報として持っていく人、みたいな感じになってくるわけですよね。
でもそれって昔からで、有名な人ってやっぱりいろんな情報知ってるからこそ、その情報にすがりたいって人が多い。それで成立してたんですけど、だんだん繋がりもできてきて、放送作家の言ってることが当たり前として耳に入っちゃった時点で、「あれ放送作家ってそんな必要だったっけ」ってなって。
だから、「レギュラー本数が多い放送作家はすごい」っていう時代じゃなくなってきてる。専門性が高い放送作家のほうが価値があるんじゃないかなと思って、今の僕の考え方ですけど。放送作家もちゃんと自分でブランディングしていかないとダメな時代になってきたんじゃないかなと思うんです。「僕はこれが得意です、だからこれやりたいです」て、専門職として強い人の方が仕事が来るんじゃないかな。
福田:どこの業界も自分のブランディングが大事な時代になってきてますよね。
オークラ:情報もすぐに手に入るから、それを使ってどういうふうに料理できるかっていうのも、専門職じゃないと厳しい。もう何でも屋の時代ではないかなと僕は思っています。
福田:放送作家として、ご自身の腕はどうやって上げていったんですか。
オークラ:そもそもやりたいことがコントだった。一番やりたかったのは、お笑い芸人だけではなくていろんなカルチャージャンル、歌手でも俳優でもイラストレーターでもそういう人たちを集めたコントライブをしたいっていうのがあって。それで自分のやりたいことをするためにはどうしたらいいかなって。
ちょっと遠い仕事でも一応仕事だからやると、だんだんそっちに追われて、自分のやりたかったことを忘れがちになるんですよ。でも、必ず自分のやりたいことを常に仕事としてやっておく。それに対して力を使っているとやっぱり目指してる方向ですから、アップしてくのかなって。
福田:目標から逆算して必要な自分の力を磨いていくという形ですね。
オークラ:大事かなと思うんです。やりたい方向と目指す方向が常にブレなければ、何となくそこに近づけることができるんだなと思います。
福田:アナウンサーとしても日々の業務に追われてしまうと、ひとりの人を歴史ちゃんと知って喋りたいのに、そうじゃない状態で行ってしまって後悔みたいなものを感じることもあります。
オークラ:みんなそういう苦しみを味わいながら、自分らしさってのを作っていくんじゃないかな。
福田:たくさんのアウトプットをしなければいけない中で、インプットはどうされてますか。
オークラ:インプットはしなきゃっていう意識はあるんですど、何をしていいかわからないときは、先輩同期後輩でとにかく情報をいっぱい持ってるやつがおすすめするやつをなるべく見るようにはしています。情報を探り当てるまでに時間がかかるので、なるべくそういう人たちが近くにいたりするのは大事なことだなと思いますね。
福田:最後にお知らせがあればお願いします。
オークラ:5月に東京03の単独ライブ、6月に渡辺直美さんの単独ライブ、両方とも演出やってます。あと4月から、日本テレビドラマ『なんで私が神説教』の脚本を書いてます。教師ってお説教するときに、いつもどの時点でどう考えてるのかなっていうのをやりたいなと思って書きました。
福田:今日は放送作家のオークラさんとともにお届けしました。放送作家のお仕事が多岐にわたっていることもよくわかっていなかったと思いますし、その中でブランディング力が大事になってきていること、なりたい自分を思い描きながら向かっていく。そういったキャリアの歩み方を私も改めて意識しようと思いました。