それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
上柳昌彦あさぼらけ 『あけの語りびと』
名古屋市のNPO法人日本ホスピタル・クラウン協会理事長、大棟耕介(おおむねこうすけ)さんは47歳。
職業は、クラウンです。
クラウンとは「道化師」のことです・・・。
病院の小児病棟の子どもたちに、笑いを届けるホスピタル・クラウンの活動をしています。
アメリカやヨーロッパで1980年代に始まったホスピタル・クラウンの活動は、日本ではまだ十分な広がりを見せていません。
病院とは「静かにするところ」「騒いではいけないところ」「楽しくないところ」これが日本の病院に残っている根強いイメージです。
欧米の子どもたちのように「病院というところは、クラウンに会えるところなんだ!」と考える。
こんなイメージの改革を夢見て、ホスピタル・クラウンの活動を始めたのは2004年。
その夢は、ほんの少しずつ実を結び、大棟さんが主宰する日本ホスピタル・クラウン協会は、全国65の病院を80名のクラウンが訪問するまでに広まりました。
学生時代は陸上競技の棒高跳びの選手として、オリンピックを目指すほどの成績をあげたという大棟さんは、身長180センチ、体重95キロ。
これだけの巨漢が、ダブダブのオレンジの衣装を着て真っ赤な鼻を付け、小児病棟の廊下をノッシノッシと歩いてくるのですから、子どもたちはそれだけで目を丸くします。
けれども、恐がらせないように、強いメイクはしません。
変身した大棟さんの名前は「クラウンK」・・・。
Kちゃんは、子どもたちに気さくに声をかけます。
「オッス!おじじ」
「やぁ~、おばば、元気?」
思いがけない呼ばれ方に、男の子も女の子も「きゃはは」と笑います。
付き添いのお母さんも看護師さんも笑い、真っ白だった世界にオレンジ色 のあたたかい雰囲気が広がっていきます。
長い風船をクルクルッとヒネってクマを作ったり、1個のスポンジのボールを 握りしめて3個にしたり、子どもたちはもうKちゃんに夢中です。
名古屋鉄道に勤めていた大棟耕介さんが、クラウン養成講座に通い始めたのは、 「人を楽しませることが苦手」というコンプレックスを克服するためでした。
学ぶことは、沢山ありました。
その一つ一つをマスターしていくうちに、この世界の深さにのめり込んでしまった大棟さんは4年で会社を退職。
プロのクラウンになる決意をしました。
持ち前の器用さと体力、抜群の運動神経と大きな体を活かした大ワザ!
その場にあるイスなどを頭の上に乗せてしまうバランス芸!
ボーリングのピンのようなものを放り上げるジャグリング、マジック、パントマイム、アクロバットなどもマスターしましたが、クラウンの神髄に到達するまでには時間がかかりました。
2003年、アメリカのフロリダ州で開催された(ワールド・クラウン・アソシエーション)の道化師コンテストで銀メダルを獲得した大棟さんは、次の日から10人の道化師と共に“ホスピス”を訪問しました。
“ホスピス”。そうです、末期がんなどの患者が、最期の時を迎えるために入院している病院です。
銀メダルをとった大棟さんは、自信満々でした。
(どんな重病人でも大笑いしてくれるに違いない)
しかし、死が迫っている人を前に、大棟さんはクラウンに最も必要とされる 「笑顔」を忘れてしまったのだといいます。
クラウンの心を忘れ、一人の人間に戻ってしまったのです。
そんな大棟さんを、患者さんたちは笑うどころか冷めた目で見つめるだけでした。
この苦い体験は、大棟さんのクラウン魂にムチを入れてくれました。
それからこれまでに出逢った数えきれない子供たち。
訪れるたびに、病状が悪化していく子がいました。
次に訪れたときは、ベッドが空になっている子もいました。
けれども、大棟耕介さんは、力を込めておっしゃいます。
私たちは、何があろうと、感情を引きずられてはいけないんです。
空になったベッドの隣の子の前で、最高の笑顔を見せる必要があるんです。
どこまでも非情です、クールなんです。それは私が、クラウンKだから・・・
2016年6月29日(水) 上柳昌彦 あさぼらけ あけの語りびと より
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ