それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
上柳昌彦あさぼらけ 『あけの語りびと』
突然ですが、そばはお好きですか?
私は、無類の「そばっ喰い」というわけじゃないんですが、時々、ムショ~に「今日はそばだ!絶対そば!もうそばだもんね!」となるときありますよね。
そして、来月になるとそろそろ「新そば」が出てきます。
「エッ?」と思われた方・・・多いかもしれませんが、そばには1年に2回、「夏」と「秋」に「新そば」の季節があります。
今は「秋そば」の真っ白い花が満開です!11月が楽しみです。
さて、そばのふるさとは、中国の雲南省。
ここから、インドルート、チベットルート、中国ルートなどを通って、日本にやってきたそうです。
つまり、そばはアジアのいたる所にあるんですね。
ただし、細長く切って、ツルツル~っと食べるのは、日本だけ。
ほとんどの国では、そばがきのように丸めたものを食べています。
「日本がそばを細長く切ったのは、日本刀があったからではないですかねぇ?」
これは「江戸ソバリエ倶楽部」の平林知人(ちかと)さんの説です。
平林さんは元商社マンで、そば打ち歴14年。現在72歳。
「そばは十回打って、満足できるのは一回。十人十色、み~んな違うそばが出来上がるんです。この奥深さが面白いんですねぇ」
と、そばに魅せられて研究を重ね、アジア各国を巡っている方です。
2011年11月、ヒマラヤの王国「ブータン」のワンチュク国王ご夫妻が来日して、東北の被災地を見舞われたのをご記憶の方も多いでしょう。
慈愛に満ちた笑顔、立ち振る舞い、そして、あたたかいスピーチ。
国王ご夫妻は日本人に、大きな感動を届けてくださいました。
実は、この来日に先立ち、日本に送られてきたのがブータンの「そば粉」…
「日本のそば打ちの技術というものを見学させていただきたい」
こんな申し入れを受けて国王の側近の前で、そば打ちを披露したのが、平林さんたち「江戸ソバリエ倶楽部」のメンバーでした。
これが縁となり、2013年の夏には平林さんたち一行が、ブータンのそばを見学しにブータンまで行きました。
ブータンのポプジカという村は、今も電気を引いていません。
村に飛んでくるオグロヅルという鳥が、電線に引っかかる恐れがあるためです。
だから電気は我慢してローソクで暮らそうと、村人たちが決めたといいます。
輪廻転生…自分は今度、何に生まれ変わるか分からないから、ありとあらゆる生き物を大切にしようというブータンの思想です。
去年はインド北部のヒマラヤ山脈とカラコラム山脈の間のラダック地方。
標高が3千メートルもある高地の村でしたが、ここにもちゃ~んと、お坊さんたちが当番制で作っている伝統的そば料理がありました。
そして今年は、インドとパキスタンの国境、カシミール地方の村。
日本人を歓迎してくれた村人たちは、大きな鍋にそば粉を入れ、練ったものをデコレーションケーキのように盛り付け、真ん中をえぐって、焼きバターを注ぐ。
これを車座になって食べていたそうです。
ただし、先に食べるのは男だけ、女性陣は男たちの残りを食べるだけでした。
さらに興味深かったのは、彼らとの間に「商取引」が成立しなかったことです。
「そば粉が欲しい。いくらですか?」
この「いくらですか?」という言葉の意味が通じなかった。
「欲しいのなら、プレゼントするよ。」
というのが彼らの感覚らしいのです。
代わりに、日本から持参した大きな板の「のし」や「めん棒」など10万円以上もするそば打ちセットを「欲しい」と言われたときは、冷や汗が出たそうです。
長く切ったそば、カツオダシ、お箸、そしてツルツルっと音をたてる食べ方、日本の全てを受け入れてくれたカシミールの村の人たち。
平林知人さんのそば打ち外交は、まだまだ続きそうです。
2016年10月12日(水) 上柳昌彦 あさぼらけ あけの語りびと より
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ
番組情報
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