それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
上柳昌彦あさぼらけ 『あけの語りびと』
新潟県村上市在住の内山アキラさんの写真の撮り方は、普通のカメラマンとは、大きく趣を異にします。
カメラをブンブン振り回す! 被写体をブラす! 重ね撮りをする!
カメラを三脚に固定し、粘り強くシャッターチャンスを待っている周りの写真家たちは、その手法に目を丸くして驚きます。
「こんな撮り方をするのは、おそらく私だけでしょう。でも、まばたきよりも速い一瞬を閉じ込めるには、カメラを画家の絵筆のように扱う必要があるんです。だから、写真家ではなくアーティストと呼んでもらえたら嬉しいです」
~と、ちょっと照れ臭そうに笑う内山さんが狙う被写体は、大陸から飛んでくるハクチョウ…ひとすじ!
内山アキラさんは、東京写真大学(現在の東京工芸大学)を卒業後、横浜の写真家・今井イサオ氏に師事。米軍クラブやフェリス女学院、ニュー・グランドホテルなどの仕事を通じて、異文化の素養をたっぷりと吸収します。
1984年には、日本肖像写真家協会の「風貌賞」を受賞。89年には、6年間撮り続けた中国桂林の「仙人のふるさと」写真展を銀座の富士フォトサロンで開催。同時にその写真集を出版しました。
そして2003年には「日本を代表する写真作家10名」に選ばれますが、内山さんが選んだ落ち着き先は、父親がふるさとに開いた写真館でした。
新潟県写真師会の会長も務めた父親を尊敬する内山さんは立派なお墓を建て、毎日欠かさず、その掃除に通うことを日課にしていました。その3年目…。内山さんが64歳を迎えた頃でした。
スコップを持ち、父親の墓の周りの雪かきをしているとき!
「な…何だよ!」
振り返ればそれは、墓地の周りの水田で餌をついばむハクチョウの姿でした。
ハクチョウと出会ったこの日のことを、内山さんは振り返ります。
「40羽ほどいましたが、新潟県ではハクチョウの姿は珍しくありません。でも、あんなに間近で声を聴いたのは初めてでした。あまり可愛くない声ですが、私には墓の中の親父からのプレゼントに聴こえたんです。「お前もそろそろ、何か本気で撮ってみたらいいんじゃないか」ってね」
昔、地元の藩主や家臣たちが赤松の林に幕を張り、野宴を楽しんだことから、「お幕場(まくば)」と呼ばれ親しまれている森林公園。その中にある「大池(おおいけ)」!
およそ1,000羽のハクチョウの飛来地であるこの池を尋ねた内山さんは、感動します。
「新潟のハクチョウといえば瓢湖(ひょうこ)が有名ですが、飛び立つハクチョウたちの影が水面に映る大池の美しさは、世界でも珍しいはずです」
真冬の55日間、猛吹雪の日も欠かさず、内山さんの大池詣でが始まりました。
のべ4年で380日間…撮影したのは一回に付き900カット!合わせて40万カットのハクチョウを撮り続けました。
「失敗ばかりなんです。40万カットのうち納得のいくものは、400カットくらいでしょう。野球選手だったら大変です」
こう言って苦笑いする内山さんの胸の内では今、チャイコフスキーの「白鳥の湖」が流れ始めているといいます。
「飛び立つハクチョウ、その羽根の軌跡と残像。周りの松林とのコントラスト、朝日や夕日との競演。私の中では、一つの物語が始まっているんです」
パリ、ドバイ、新潟県胎内市で開いた写真展も大好評でした!
内山さんがハクチョウから教わったことは一つ!それは…『生きることへの真剣さ』だといいます。
2016年11月2日(水) 上柳昌彦 あさぼらけ あけの語りびと より
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ
昨日11/1、内山晟(アキラ)さんが第4回WPC(ワールドフォトグラフィックカップ2017)の日本代表に決定しました。
2017年2月にはアジアで初めて横浜で世界大会が開催されます。※World Photographic Cup (WPC) とは、2013年に全米プロ写真家協会 (PPA)とヨーロッパプロフォト連合 (FEP) の呼びかけにより、アジアプロフォト連合 (UAPP)とオセアニア連合が参加して始まった、写真業界初の「写真における世界大会」です。(HPより抜粋)
番組情報
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