それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
上柳昌彦あさぼらけ 『あけの語りびと』
今では文字を手書きする機会など、ほとんどない~という人でも、手のひらに「鉛筆」を握る感触だけは、残っているはずです。
文字を書くには筆記用具など必要なし!パソコンのキーボートを叩けば、どんどん文字を綴ることが出来る。スマホの入力キーを押せば、簡単に文章を書ける。
そんな時代ですが、なぜか「鉛筆」のシンの匂いだけは残っています。それは、私たちが最初に手にした文房具が「鉛筆」だったからでしょう。
鉛筆作りは、昔も今も東京の地場産業です。戦後=昭和24年当時の鉛筆製造メーカーは全国に110社。そのうち7割以上=80社までが東京にあったといいます。
今、都内にある鉛筆メーカーは、32社。それが荒川区と葛飾区に集中しているのは、鉛筆の材料となる木材の運搬に、荒川を水路として利用していたからでしょう。
東京・葛飾区四つ木の「北星(きたぼし)鉛筆株式会社」は、そんなメーカーの一つ。従業員28名で、今も一日に10万本以上の鉛筆を作り続けています。
創業は、昭和26年。4代目の社長・杉谷和俊(すぎたにかずとし)さんは語ります。
「うちの先祖は、徳川幕府に書記の仕事で仕えていたそうです。そのためか、会社には〝鉛筆の精神〟が受け継がれているんです。」
〝鉛筆の精神〟とは何か?
「鉛筆は、我が身を削って人の為になり、真中に芯の通った人間形成に役立つ立派で恥ずかしくない職業である。鉛筆の有るかぎり利益などは考えずに家業として続けるべし。」
しかし、時代と共に鉛筆は衰退の一途をたどります。20年ほど前、杉谷さんが社長に就任して最初に考えたことは、
「企業が存続できるだけの価値を持つこと!そのためには、鉛筆を作っているだけでは十分ではない!」
こう考えた杉谷さんが生み出したアイディアが、実にすごかったんです。
鉛筆は素材の半分ほどが、おがくずというゴミになってしまいます。杉谷さんはまず、このおがくずの有効利用を考えました。
銭湯が沢山あった時代は、おがくずを燃料として買い取ってもらえました。ところが銭湯が激減する中、おがくずを産業廃棄物として処理しなければならなくなり、そのコストも年々アップ。それが悩みのタネでした。
この時ひらめいたのが、おがくずを粘土に混ぜてみようというアイディア!こうして出来上がったのが人畜無害の粘土「もくねんさん」でした。
また、本業の鉛筆作りを子どもたちにもみてほしい~と、北星鉛筆は、親子での工場見学を積極的に受け入れて、年間1万もの人たちが見学に訪れているといいます。
そして、この工場見学から大ヒット商品が生まれました。
あるとき、子供と一緒に訪れた母親の「大人が使いやすい鉛筆があれば、いいですね~」という一言。これをきっかけに開発したのが、北星鉛筆の『大人の鉛筆』でした。
軸は木製。鉛筆と同じ手触りと軽さ。使い込むほど手に馴染みます。シンは、鉛筆と同じ黒鉛と粘土だけを練り合わせたもの。濃さはB、太さは2ミリ、芯削り器とのセットで700円ちょっと。
杉谷社長は言います。
「鉛筆は人を裏切りません。鉛筆は試し書きをしなくても失敗しない唯一の筆記具なんです。」
杉谷社長のお話をうかがっているうちに、映画監督で脚本家の松山善三さんが書いた「一本の鉛筆」という歌を思い出しました。
「一本の鉛筆があれば、私はあなたへの愛を書く。一本の鉛筆があれば、戦争はいやだと、私は書く。」
美空ひばりさんが、大切にしていた歌です。
2016年11月23日(水・祝) 上柳昌彦 あさぼらけ あけの語りびと より
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ
番組情報
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