東海道線・熱海から分岐して、東伊豆を南下する「伊東線」。
伊東線はJR線ですが、熱海始発の普通列車は伊東止まりも含め「伊豆急行線」の車両が使われる珍しい路線。
代わりに特急列車の多くは、JRの車両が使われています。
伊豆急行線の主力・東急東横線から移籍した8000系電車は、山側こそ従来のロングシートですが、海側はクロスシートに交換。
このシートはかつて、西武の特急レッドアローで使われていたものです。
熱海駅前からゆっくり坂を下っていくとある「小沢(こざわ)の湯」。
熱海七湯の1つで、常に蒸気が噴き出し、温泉情緒を感じられます。
温泉玉子を作ることも出来るちょっとした名所でもあるんですね。
ただ、鉄道好きが魅かれるのは、お隣の「丹那(たんな)湧水」。
この水が湧きだしているのは・・・?
東海道線・熱海~函南間にある「丹那(たんな)トンネル」です。
トンネルの入口には「2578」と「2594」の数字が見えますが、これは着工の年と完成の年を”皇紀”で記したもの。
工事には実に16年もの歳月がかかり、湧きだした水は今も熱海市の水源の一部となっています。
一方でトンネルの上にある函南町の丹那盆地では、水源の枯渇という問題も起こりました。
これに伴い、水田から酪農へ転換して発展したのが、静岡東部では有名な「丹那牛乳」です。
熱海の発展は「鉄道」と深い関係があります。
東海道線が御殿場回りから熱海回りになることで、熱海を訪れる人が大きく増えました。
特に大正14(1925)年に先行して熱海まで開通したことで、熱海駅の利用者は軽便鉄道だった大正13年度のおよそ「17000人」から翌年度は「37万人」におよそ20倍も増加!
昭和9(1934)年には「丹那トンネル」の開通で西日本と結ばれ、昭和10年度の熱海駅利用者は「191万人」にも膨れ上がりました。
これに伴って熱海温泉の性格も変わり、湯治の街から温泉レジャーの街になっていったわけです。
(参考:熱海市史)
熱海駅弁は、小田原を本拠地とする「東華軒」が元々の駅弁屋さん。
これは今の東海道線が、国府津から「熱海線」として西へ延び、熱海に到達した歴史を踏まえれば自然な流れ。
沼津の「桃中軒」が、長年”箱根の山を越えられなかった”事情にはこういった歴史的背景もあるんですね。
しかし、時代が変わって、西から「桃中軒」、東の背後から「大船軒」の駅弁も並ぶようになった熱海駅。
「東華軒」も熱海向けを充実させており、9月からは「熱海漁彩(りょうさい)弁当」(990円)を投入しています。
(参考:国鉄構内営業と経営者・坂田俊夫著)
【お品書き】
茶飯
炙り金目鯛煮付け
鯵唐揚げ(パプリカ添え)
いか照焼き
椎茸煮
錦糸玉子
わさび三舞
つぼ桜
金目鯛、鯵を使うことで「熱海らしさ」を演出した駅弁とのこと。
「東華軒」には元々、炙り金目鯛と小鯵の押寿司駅弁があります。
これを煮付けと唐揚げにアレンジして、丼風の駅弁に仕上げてきました。
思いのほかいいアクセントなのが、小さくカットされたイカの照焼きでした。
年明けには梅のシーズンを迎える熱海、旅の〆まで華やかに彩ってくれそうです。
鉄道あってこその「熱海温泉」。
そんな歴史を踏まえ、厳しい寒さを逃れて、列車に揺られながら熱海ヘ伊豆へ足を運んでみてはいかがでしょうか?
(取材・文:望月崇史)
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/