今年(2017年)3月12日で、全線開業から6年となる「九州新幹線」。
博多~鹿児島中央間・288キロあまりは、最速「1時間16分」で結ばれています。
列車の愛称は3つあり、最速タイプが「みずほ」、速達タイプが「さくら」、各駅停車が「つばめ」。
N700系の「みずほ」「さくら」を中心に、山陽新幹線・新大阪まで直通運転が行われています。
今や東京17時過ぎの「のぞみ」に乗れば、その日のうちに鹿児島まで行けちゃう時代なのです。
今は鹿児島中央駅でも駅弁を販売するのが、鹿児島・出水(いずみ)に本社がある「松栄軒」。
今回で第4弾となった「駅弁屋さんの厨房ですよ!」は「松栄軒」の松山幸右(まつやま・こうすけ)代表取締役社長に、鹿児島・九州の駅弁について、話を伺いました。
松山社長は、昭和48(1973)年10月24日生まれの43歳。
「松栄軒」の社長としては、6代目に当たります。
●松山社長は、ずっと出水ですか?
生まれも育ちも出水なんですが、高校が福岡、大学が横浜で、就職が名古屋の会社なんです。
メッキの工業薬品の営業マンをやっていたんですが、その仕事で静岡の浜松に長くいました。
30歳の時、ちょうど九州新幹線の「新八代~鹿児島中央間」が開通するという時に、出水に戻ってきました。
そして、平成19年11月に社長に就任して、今年でちょうど10年になります。
●松山家が鉄道の構内営業に関わるようになったのは、どうしてですか?
元々、松山家は、旧・伊集院町(現・日置市)の開業医なんです。
長男は医者を継いで、次男だった私の曽祖父も東京の医学校に通っていたんですが、当時は医者をやっていても、あまりよくなかったのかもしれません。
医者は長男が継ぐから、次男は「出水駅に弁当の権利が取れたので、出水で独立しなさい」となったようです。
ちょうど、昭和2(1927)年に、海沿いを通る「鹿児島本線」(注)が開業したタイミングですね。
(注)鹿児島本線
福岡県の門司港駅と、鹿児島県の鹿児島駅を結ぶ、およそ400キロの路線。
元々、八代~鹿児島間は、内陸の人吉・吉松・隼人を経由するルートで開通した。
昭和2年に、八代から水俣、出水、川内(せんだい)を通る海沿いの「肥薩線」が開通し、内陸の「鹿児島本線」と路線名がトレードされ、今の名称になった。
平成16年、九州新幹線の開業に伴い、八代~川内間が第3セクターの「肥薩おれんじ鉄道」に。参考:鉄道でいくかごしまの旅 http://www.kagoshima-tetsudo.com/
九州新幹線の建設で、出水駅弁が消滅の危機!
●「松栄軒」は、ずっと出水だけで弁当をやっていたんですか?
平成16(2004)年の九州新幹線部分開業の時までは、出水駅だけで駅弁を販売していました。
外に出てやっていたのは、熊本・鶴屋百貨店と、お隣・水俣の水工社本店の駅弁大会だけです。
祖父が商売に長けた人で、3人の息子に、駅弁屋だけでなく、ガソリンスタンドやタクシーなど、幅広く商売を手掛けさせていました。
ですので、ずっと出水駅で駅弁をやっていたのは、私の伯父に当たる方です。
長男がやり、次男がやって、今は会長である三男の父が引き継いだのが、新幹線の部分開業の直前なんです。
●お父様が駅弁屋さんを継がれたのはなぜ?
実は(父の兄に当たる)次男が社長だった時、「駅弁を止める」という話が出てきました。
国鉄がJRになって、周りに仕出し弁当屋さんなどもたくさん出来たのですが、「松栄軒」は、駅弁だけでやっていたので、それはもうジリ貧と言ってもいい状況でした。
そんな時、九州新幹線が部分開業することになり、工場の土地が新幹線用地に引っかかりました。さらに駅の売店も見直され、キヨスクさんが販売を担当することになりました。
そこで「駅弁をやめる」という話が出てきたんです。
その時、私の父が「ずっと私たちは松栄軒の名前で食べさせてもらっている。松栄軒が松山家の基本だ。絶対に潰すわけにいかない。だったら俺がやる!」ということになって、三男だった父が、社長に就任したんです。
新生「松栄軒」、電話1本からのスタート!
●「俺がやる!」とは言ったものの、全く畑違いからですとタイヘンでしたよね?
まず建物がないんです。新幹線になってしまいましたから。
最初にあったのは、電話1本だけ。
ただ、ウチの関連会社が、阿久根でほっかほっか亭のフランチャイズをやっていましたので、阿久根のほっかほっか亭の厨房で駅弁を作って、出水へ運ぶことから始まりました。
そして、新幹線の開業に伴って在来線が「肥薩おれんじ鉄道」に移管され、昔の在来線の駅舎が空いたことから、駅舎を駅弁工場に改装して、出水で駅弁を作れるようになったんです。
●私自身、10年前くらいに出水にお邪魔したことがあるんですが、確かにビックリしたんです。
「昔の駅舎が駅弁工場になってる!」って。
別の場所でもよかったんですが、「駅の構内に駅弁工場がある駅は他にないだろう!」ということで、旧・駅舎に入ることになりました。
国鉄時代に作られた駅舎ですから、既に建物の図面も無くて、全くの手探りでした。
仕方ないので、砂利を敷いて、コンクリを打って、工場に改装していったんです。
昔の松栄軒の売店の場所は、懐かしいねぇとか言いながら、倉庫にしたりしていました。
ただ、如何せん、古い駅舎なので、だんだんと雨漏りがするようになりました。
所有する「肥薩おれんじ鉄道」も、駅舎を建て替えるほどの体力は無い・・・。
衛生面を考えると、「もう新しい工場を作るしかない!」ということになって、平成25(2013)年に、思い切って今の工場を建てたんです。
(松山社長インタビュー、次回に続く)
私が10年前に出水を訪れた時、最も印象に残っていた駅弁が、当時はまだ新発売だった「極 黒豚めし」(1,080円)でした。
10年経って「極 黒豚めし」は、「松栄軒」黒豚駅弁のトップに立つ、看板駅弁の1つになりました。
この10年の間に、装丁も中身もバージョンアップ。
訪れた日も、鹿児島中央駅の駅弁売場の一番目立つ所に「極 黒豚めし」がありました。
鹿児島市内でも食べられるお店が限られた上級の黒豚、「かごしま黒豚さつま」を使用。
この黒豚を鹿児島の本格芋焼酎と鹿児島醤油、赤麦味噌で造った「松栄軒」オリジナルのタレで焼いて、ご飯は和風だしで炊き上げたのが、「極 黒豚めし」です。
すっかり冷めていても、どんどん箸が進む不思議な黒豚駅弁。
改めて、鹿児島の黒豚ってイイなぁと感じさせてくれる駅弁です。
目下、「松栄軒」ナンバー1黒豚駅弁の「極 黒豚めし」。
ただ、元々は黒豚よりも、エビやイカを使った海鮮系駅弁が十八番だったハズ・・・。
次回、「松栄軒」が、黒豚駅弁に注力するきっかけになった出来事を、松山社長に訊きます。
*「駅弁屋さんの厨房ですよ!」シリーズはこちらから↓↓
シリーズ「駅弁屋さんの厨房ですよ!」(vol.1「祇園」編)~伊東駅「いなり寿し」(600円)
シリーズ「駅弁屋さんの厨房ですよ!」(vol.2「丸政」編①)~小淵沢駅「甲州かつサンド」(700円)
水戸駅「常陸牛 牛べん」(1,050円)~駅弁屋さんの厨房ですよ!(vol.3しまだフーズ編①)
出水駅「えびめし」(930円)~駅弁屋さんの厨房ですよ!(vol.4松栄軒編①)
(取材・文:望月崇史)
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/