【報道部畑中デスクの独り言】
日本人宇宙飛行士の野口聡一さんが2年後の2019年末から約半年間、国際宇宙ステーションに長期滞在することが決まりました。野口さんは2005年に初飛行、2009年には長期滞在、今回は3回目の飛行、また、予定通りであれば長期滞在時には誕生日を迎え、55歳に。日本人の宇宙滞在年齢としては土井隆雄さんの53歳を抜いて、最年長記録を更新することになります。
さらに、今回はアメリカの民間企業が開発中の新型宇宙船に搭乗する可能性もあるということで、トピックが満載。11月9日にJAXA=宇宙航空研究開発機構の東京事務所で行われた記者会見には多くの記者が詰めかけ、野口さんは「50代でも宇宙に元気よく行けるという姿を全国に見せたい」と意気込みを語りました。
私も宇宙開発の取材を始めてからかなりの時間が経ちますが、実はそのきっかけは野口聡一さんの2005年の初飛行でした。2003年のコロンビアの事故以降初の飛行ということで、取材もかなり緊張感があったことを覚えています。
その野口さんがニッポン放送の単独インタビューに応じて下さいました。収録は11月21日の午後、その模様の一部は24日朝の「上柳昌彦のあさぼらけ」の中で放送しましたが、詳細についてこの「独り言」の中で2回に分けてお伝えします。ダークスーツ姿で現れた野口さんは、持ち前のユーモアあふれる話を展開してくれました。
――おめでとうございます。――
(野口)ありがとうございます。3回目の挑戦ということで、いま宇宙飛行士、数が多いところで3回目のチャンスをいただいたことを大変うれしく思っています。
――正直、びっくりされたのではないですか?――
(野口)まあ、年も年ですからね、今回の宇宙に行ってる間に私も55才になりますのでそういう意味ではかなり…日本人の歴代でもかなり年を食ってる方になってまいりました。
ただ、常々子どもたちに夢をと言ってますけど、10代も夢を持ってほしいし20代でも夢を持ってほしいですけど、50代でも夢を持ってがんばれるんじゃないかということを皆さんに感じてもらえればうれしいです。
――ちょっと失礼な質問かもしれませんが、野口さんはグループ長もされて、立場的には後進の育成に軸足を置かれていくのかなと思っていました。その中でフライト…そのあたりの驚きはどうですか?――
(野口)私がグループ長になった時に一番の目標は、新世代の3名…油井さん、大西さん、金井さんを宇宙に送り出すことだと、それが本当に一番の目標だったんですけども。
幸い、油井さん、大西さんはすでに宇宙に行って大活躍して今年の12月に最後の金井さんも宇宙に行くと。もういま打ち上げの最終段階に入ってロシアでがんばってますけど、そういう意味では3人が無事に一人前の宇宙飛行士になって。
このタイミングで順番が回ってきたのは私自身もうれしいですけど。1回目のフライトがスペースシャトルの空中爆発事故の後での飛行再開、2回目は日本人として初めてソユーズの船長補佐、それぞれJAXAにとって大きな有人飛行の転換点となるフライトに恵まれてきた、今回もやはり新しい時代の民間利用、新世代の宇宙船ということで、大きな転換点に差し掛かってきていると思うので、そういうところに指名していただいたのは光栄だと思いますね。
――「節目節目に野口さんが出てくる」って感じがするんですけど、そういうめぐりあわせに運命を感じますか?――
(野口)過去2回も最初はそれほど自分の中で意気込みがない感じでアサインされたんですけど、空中爆発事故であったり、ソユーズの日本人が飛び始める最初になったりということで、結果的に大きな転換点になった。今回は逆にアサインの段階で転換点が見えてきているので、そういう意味では過去とは違うんですけど。いずれにしてもJAXAにとって、日本にとって学ぶことの多いミッション、何といってもこれから10年先を考えると国際宇宙ステーションだけではなくて月面に行く、あるいは火星を目指すと、新しい時代が始まる2020年だと思ってますので、そういうところに過去2回の経験を生かして、年齢的なものも含めてこの先何回宇宙に行けるかわかりませんが、少なくともこのフライトをかっちり終わらせたいと思ってます。
――2005年の初フライトから12年、宇宙開発の仕事に携わってきて、宇宙開発の面、野口さんご自身で一番変わった点は何ですか?――
(野口)初飛行から12年、その前を見ると、ロシアの訓練を始めてちょうど20周年なんですけどね。そういう意味ではロシアもガガーリンさん以来、世界の宇宙飛行はアメリカとロシアが両輪になってずっと進めてきたと思っています。
ロシアは随分変わったなと思いますね。やはり共産党時代、その体制が崩れてその後、プーチン大統領の時代になって一気に開放が進んでいまもそれでも宇宙の中心であると。
片やアメリカはもちろん我々にとってすごくなじみがある国ですけどそのなじみの象徴だったスペースシャトルが引退した後、しばらく停滞してましたよね。でもここにきてスペースX社だったり、ドリームチェイサーだったりボーイングだったりと、新しいプレーヤー、古いプレーヤーが入り乱れて2020年代、30年代に向けての新しい宇宙探査の時代を開こうとしている。そういう意味ではアメリカもロシアも変わったかなと。そういうところで現役として、この2020年代までにいられるというのは自分自身が一番驚いていますけども本当にラッキーだなと思います。
――この新しい宇宙船についてはまだ乗れるかどうかも…可能性の段階でもありますし、記者会見でもあまり詳しくお聞きしなかったんですけど、形はご覧になっているんですか?――
(野口)まずは我々としてはっきりしないことはあんまり言わないようにしようよっていうのが記者会見の時のポリシーで(苦笑)。
おっしゃる通り、まだスペースXになるかボーイングになるか、両方とも間に合わないか全くわかりません。ただ、私はたとえ間に合わなくても、ここ2年、3年でその時代が来るのは明確で、私の時にいまの計画では間に合うとアメリカは言ってますので、私としてそれに向けて準備はすると。ただその一方でロシアの訓練も継続してやりますので、そういう意味では何が来ても、どういう状態になっても日本にとって重要な宇宙実験、宇宙利用は続けていくんだというのが、いまの時点で我々が言えることです。
――何か期待することはありますか?新型に乗れるとして――
(野口)何といっても我々の世代がつくった宇宙船ですから。なぜかっていうと、ソユーズ宇宙船についてはガガーリンさんの時代からあまり変わっていないと。スペースシャトルは我々が小さいころから見て育った夢の宇宙機ですけど、1970年代の設計ですからね。
片やスペースX社、ボーイングのドリームライナーにしても、どちらも我々が宇宙飛行士になってからの、2000年代に入ってからの人たちがつくっている宇宙船ですので、我々自身が経験してきた宇宙飛行士としての経験がまさに生きていると。かつて同僚だった宇宙飛行士が開発担当者になったりしていますから、僕たち自身の時代がつくった新しい宇宙船を体験したいなと思います。
(次に続く)