【ペットと一緒に vol.119】
思いがけず迎えた2頭目の犬や、先住犬との闘病生活、そして自身の両親の介護……。今回は、いつもそばにいてくれた犬に支えられたという、カメラマンの橋本浩美さんの約20年間のヒストリーをご紹介します。
大きな犬と希少犬種とのてんやわんやな日々
カメラマンや専門学校講師として多忙な日々を送っていた橋本浩美さんが、ラブラドール・レトリーバーのLaicaくんを迎えたのは、いまからおよそ19年前のこと。
「力が強いオスのラブラドールだったので、成長して来ると、私や母が散歩で引っ張られて転びそうになってしまって。初めての大型犬に手を焼いて、オビディエンス(服従訓練)やアジリティーのレッスンに通い始めたりもしました。最初は大変でしたけど、Laicaのおかげで、すごく世界が広がりましたね」と、橋本さんは振り返ります。
Laicaくんとの絆も深まったころ、橋本さんに友人経由で、ある犬の一時預かりをして欲しいという相談が舞込んだそうです。
「プリミティブ(原始的な)タイプに属するバセンジーという犬種で、一般的な愛玩犬タイプと比べると少し扱いがむずかしいため、預かり先探しに苦労していたそうなんです。私はラブと一緒にトレーニングスクールに通っていたこともあって、預かり先として適任だと思ったんでしょうね」
事情を知り、橋本さんはそのバセンジーを受け入れることを決めました。
自宅に迎え入れたバセンジーの名前は、諭吉。生後4カ月のいたずら盛りで、寝ているLaicaくんの耳やしっぽにじゃれつくのが日課になったとか。
「Laicaは諭吉から遊びに誘われても無反応。なんだかじっと耐え忍んでいるように見えました。たぶん、諭吉の存在が気に入らなかったんじゃないかな?」と、橋本さん。
そんなある日、小さな事件が起こりました。
「いつものようにじゃれついて来た諭吉に、Laicaが急にキレたんです。諭吉をひっくり返して、最後は歌舞伎役者のように見得を切って……。その日から、犬同士の上下関係がはっきりしたみたい。明らかに諭吉はLaicaを慕うような態度になり、Laicaのお腹のなかで諭吉が寝ている様子も見られるようになったんですよ」
Laicaくんが諭吉くんを受け入れるまで、実に2カ月を要したそうです。
父親を見舞った犬たち
一時預かりの予定だった諭吉くんですが、その後もとの飼い主さんの状況が変わり、橋本家の家族として迎えることになりました。
思いがけない多頭飼い生活も始まり、ますます充実した日々を過ごしていた橋本さん。そのときすでに父親は癌で闘病していました。
「はい、それじゃあお父さんまた明日」と橋本さんが言うと、ベッドの足元を1周して最後に父親の頬をペロンとなめて「おやすみ」を告げるのが、Laicaくんの日課だったとか。
「Laicaも一緒に父の介護をし、心配してくれているのだなぁ~と、あたたかい気持ちになりました」と、橋本さんは言います。
その後、父親はホスピスに入院することに。
「入院後9日目の晩、病院から『お父様に会わせておきたい方がいらっしゃれば、いまのうちに』と告げられたんです。『人ではなく、犬がいるんですけど』と、つい私の口からこぼれました。すると、『いいですよ』との返答がいただけたんです」
ただし、病院の床を歩かせるのは禁止のため、Laicaくんを大きなカートに載せてガラガラと病棟内を引き、諭吉くんは抱っこをして父親の病室に向かったそうです。
「諭吉と対面した父は、うれしそうでしたね。そしてLaicaをゆっくりと撫でているときの父の表情は、穏やかでとても満足そうに見えました」と、橋本さんは当時を思い出します。
その翌日、父親はこの世を去ったそうです。
父親の死から2年後、母親が髄膜腫を患い手術入院することになりました。母親が退院して間もなく、今度はLaicaくんが脳梗塞で倒れてしまうというハプニングが。
「犬たちのケアが入院中に行き届かなかったせいでかわいそうな思いをさせてしまったと、母も私も落ち込み嘆きました。でも発症後すぐ動物病院に駆けつけられたので、幸いLaicaは後遺症もなく復活できました」
橋本さんと母親の笑顔と活力を引き出した犬の力
脳梗塞2回を乗り越えたLaicaくんでしたが、橋本さんと母親の腕のなかで15歳半で息を引き取ったそうです。
「ラベンダーの香りのお湯で全身をきれいに拭いてあげました。Laica気持ちいいでしょ、とてもいい匂いだねと、声をかけながら」
それから2年後の秋、橋本さんの母親が膵臓がんに罹患していることがわかったそうです。
「ステージ4とかなり進行していたのと、高齢であったため、手術もできず、抗がん剤治療もしない決断をしました。入院治療中に食欲を失って痩せてしまいましたが、『諭吉とSpoonが待ってるから、帰らなきゃ!』と何度も口にするんです。そこで、自宅療養に切り替えることを決意しました」
諭吉くんとの生活に戻ってから、母親は笑顔を取り戻したと言います。
「通常食が困難になった母のために、毎日何皿もの流動食を用意したんです。そのなかで、諭吉が気に入っているメニューもあって。『ほら、諭吉もおいしそうに食べてるよ』と母に見せると、『ほんとうだ。私も食べないとね』と言いながら母も食べてくれたりしたんですよ」
橋本さんは、人では不可能なことを成しえる犬の力のすごさを感じたと微笑みます。
訪問看護を依頼しながら在宅介護を続けた、橋本さん。仕事に出かける前も、帰宅後も、一息つく暇もなく介護をする日々は心身ともにつらかったそうです。
「あぁ、もうこんな時間になっちゃった。でも、諭吉の散歩に行かなくちゃ」と、残った体力を振り絞って散歩に出てみると……。
「なんだかとても心地よくて(笑)。歩みを進めるうちに、気持ちまで軽くなっていくような気がしたものです」と、橋本さん。きっと、良い気分転換になったのでしょう。
こうして2カ月間が過ぎ、ついに母親が自宅で最期を迎える日がやって来たそうです。
「大晦日の正午すぎ、母は諭吉とSpoonに看取られて息を引き取りました。とても静かに。諭吉のぬくもりを最後まで感じられたのは、とても良かったのではないでしょうか」
橋本さんは大変だった介護生活を、こうも振り返ります。
「諭吉がそばで見守ってくれているだけで、とても励まされました。諭吉の散歩に出ることが、私の心身の健康管理にも役立っていたと思います。愛犬や愛猫がいなかったら、私は介護生活を乗り切れなかったかもしれません」
橋本さんが感謝の気持ちを込めてカメラを向けたという諭吉くんの写真(上)からは、犬が家族に対して抱く愛情もまた、伝わってくるように感じました。
連載情報
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ペットにまつわる様々な雑学やエピソードを紹介していきます!
著者:臼井京音
ドッグライターとして20年以上、日本や世界の犬事情を取材。小学生時代からの愛読誌『愛犬の友』をはじめ、新聞、週刊誌、書籍、ペット専門誌、Web媒体等で執筆活動を行う。30歳を過ぎてオーストラリアで犬の行動カウンセリングを学び、2007~2017年まで東京都中央区で「犬の幼稚園Urban Paws」も運営。主な著書は『室内犬の気持ちがわかる本』、タイの小島の犬のモノクロ写真集『うみいぬ』。かつてはヨークシャー・テリア、現在はノーリッチ・テリア2頭と暮らす。東京都中央区の動物との共生推進員。