黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に、相撲漫画家の琴剣淳弥が出演。力士から相撲漫画家になるまでの経緯について語った。
黒木)今週のゲストは相撲漫画家の琴剣淳弥さんです。琴剣さんは元力士でいらして、1986年に引退されたということですが、大きいですね。
琴剣)見かけの通り、元力士です。もう引退して30年経ちますが。
黒木)当時と同じくらいの量を召し上がっているのですか?
琴剣)そんなことないですよ。でも仕事柄、未だに取材でお相撲さんと接する機会が多いので、一緒に食べに行ったりするわけです。ついついお相撲さんのリズムに合わせて飲んで食ってすると、こんな風になっちゃうんですね。あと座り仕事も関係あるかなと思います。
黒木)漫画家でいらっしゃるから。
琴剣)籠るときは4日くらい外に出ないときもありますし、そのときのお供にお菓子を食べてしまうのです。いけないパターンですよね。
黒木)福岡県の田川郡の出身でそこから佐渡ヶ嶽部屋に行かれて。
琴剣)私は昔から漫画家になりたかったのですよ。手塚先生の『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』が大好きで、将来絶対に漫画家になる気持ちでいました。ところが15歳のときに私の師匠である先代の佐渡ヶ嶽親方にスカウトされて。上手く騙されて(笑)。
黒木)何年くらい力士でいらしたのですか?
琴剣)11年です。
黒木)いかがでしたか?
琴剣)親方もスカウトするときは、上手いことを言うのですよ。「午前中は稽古がきついけれど、午後は好きなことやっていいから」と。入ったらとんでもないですよ。稽古もあるし兄弟子の用事もあるし。
黒木)好きなことはできず。相撲一色でいらしたのですね。
琴剣)それでも隠れて漫画を描いていました。虐める兄弟子が怪我した絵とかですね。
黒木)(笑)。「琴剣」さんというのは四股名ですか?
琴剣)そうです。最初は福岡出身なので「琴九州」という四股名でしたが、「あまりにも名前がでかすぎたな」と師匠が言いまして、「明日からお前は琴剣だ」と言われて、ずっと琴剣の意味がわからなかったのですよ。先代の親方が亡くなって、女将さんに「ペンは剣よりも強し」ということわざから付けたと言われました。ペンという名前なのですよね。私はそれを聞いて号泣しました。親方も漫画が大好きだったし、11年もやったらこの子は向いていないとわかるわけじゃないですか。その先のことを考えてくれて、辞めて漫画家になるときに、「四股名をペンネームにしろ」と言われて。やっと親方が亡くなってから意味が分かりました。
黒木)それは愛情を感じますね。そうやって親方は育てているのですね。そんな琴剣さんの作品ですが、漫画本と言って良いのですか?
琴剣)エッセイですね。
黒木)漫画ももちろんあるのですが、琴剣さんの作品『相撲めし』は扶桑社から出ているのですけれど、食通の親方とか力士の方に聞いたお店を紹介しているのですか?
琴剣)ちゃんこの本ではなくて、相撲部屋でちゃんこが出たときにサイドメニューで何か出るではないですか。それが実は美味しいのですよ。
黒木)例えばどんなものですか?
琴剣)とんかつだとか、生姜焼き、卵焼きだとか、そういうものが美味しいのです。
琴剣淳弥(ことつるぎ・じゅんや)/日本相撲協会公認・相撲漫画家■1960年・福岡県田川郡香春町出身。
■中学卒業後に佐渡ヶ嶽部屋に入門。1976年3月場所で初土俵。
■現役時代からスポーツ紙にイラストを掲載するなどして、角界では有名な存在。
■1986年9月場所で引退。最高位は三段目46枚目。
■引退後は兄弟子が営んでいたちゃんこのお店で修業。独立して千葉県船橋市にちゃんこ店を開店するも奥様が病気で倒れて7年で閉店。
■妻の後押しもあり、漫画を描くことを決意。
■漫画の掲載は1990年「やぐら太鼓の詩」。漫画家としての活動を開始した。
■日本相撲協会から「外国人力士のために相撲の歴史や礼儀作法、まわしの締め方を描いてほしい」と依頼されたのを機に、その後、日本相撲協会公認の漫画家として力士のイラストグッズなども販売。力士の化粧まわしのデザインやイラストも手掛ける。
■代表作は『相撲めし』。相撲界の食については何でも知っているスペシャリスト!
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