『となりの難民』著者・織田朝日が問いかける、日本の難民問題
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それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
好奇心とは、珍しいことや未知のことなどに興味を持つ心。織田朝日さんは、子供のころから好奇心旺盛な少女でした。
現在47歳の主婦ですが、子供のころの夢は漫画家になること。さらに小学4年生のとき、「演劇クラブ」に入ったのがキッカケで、女優になる夢を持つようになります。
その後は上京して劇団に入り、舞台に立ちますが、30歳手前にして挫折し、役者の道を断念…。アルバイトで貯めたお金で、目的もない旅に出るようになります。
いままで訪ねた国は14ヵ国。トルコ、インド、韓国、北朝鮮、イラク、シリア、ヨルダン、ロシア、台湾、中国、ドイツ、オーストリア、エジプト、アメリカ…。
そのアメリカに行ったのが、2001年。9月11日に起きた同時多発テロをテレビで見て、これも好奇心から、すぐにニューヨークに向かいました。
「あのころは何も考えなしで、物見遊山でしたね。ああ、ここにワールドトレードセンターがあったんだと、ポッカリと空いた青空を見上げて帰って来たのを覚えています」
2003年に「イラク戦争」が勃発し、織田さんは「戦争ってこんなに簡単に始まっていいの?」と疑問を持ちます。2004年には「イラク日本人人質事件」が起こり、男女3人が武装勢力によって誘拐されます。3人は無事に解放されますが、帰国後、自己責任論の嵐が吹き荒れます。
「日本人が日本人をバッシングするのを見て、日本の風潮がとても怖く感じましたね。でも、そのときも自分に何ができるのか、まったくわからなかったんです」
織田朝日さんが難民問題に関心を持つようになったのは、2004年7月ごろでした。それまで日本に難民がいることなど、まったく知らなかったと言います。
「ある日、渋谷の国連大学前で、クルド人2家族12人が自由を求める〝座り込み〟をしているらしいと聞いて、またも好奇心から顔を出してみたんです」
クルドってどこの国? と思い調べてみると、トルコやイラク、シリアの山岳地帯などに暮らす「国を持たない民族」だと知ります。
迫害や差別を受け続けて来た民族で、日本に逃れたクルド人の多くは、埼玉県川口市に暮らしています。しかし難民申請をしても、法務省入国管理局(入管)に認定されず、日本に来ても苦しい生活に追い込まれていました。
そのために国連大学前で座り込みとなったわけですが、織田さんもアルバイトが終わると一緒に参加し、ときには夜を明かすこともありました。
「7月の猛暑のなか、コンクリートの上にダンボールを敷いて寝たんです。たった1日でも、翌朝は背中が痛くてきつかったですね。彼らは座り込み開始から、それを2ヵ月以上続けていたんです」
72日目、とうとう国連は警察を呼びました。機動隊に囲まれ、このままでは入管の収容施設に送られてしまう…。
追い詰められた家族はガソリンをかぶりますが、周りから必死に止められ、事なきを得ます。織田さんも必死に止めた1人でした。このとき、クルド人の少女が発した言葉が耳から離れません。
『止めないでよ。もう生きていたって、あすはないんだから』
この日から織田朝日さんの難民支援が始まって、16年が経ちます。主に東京入国管理局を中心として、面会活動を行っています。愚痴もあれば、処遇の改善を求める声など、どれも悲痛の叫びです。
「クルド人をはじめ、難民として日本にやって来た人たちは、日本で最も立場の弱い人たちです。彼らの話を聞いていると、クルド人だからとか、難民だからなどではなく、立場の弱い人たちを守って行かないと、日本がどんどん弱い者を排除する社会になって行く…そう思えてならないんです」
織田朝日さんが書かれた著書、『となりの難民』の一節をご紹介します。
「難民は、もうそこにいて、私たちは、すでに多くの外国人と共存しています。手を取り合い、助け合い、文化を尊重していくことが、なによりも素晴らしい世界なのだと、私は信じています」
■『となりの難民』(旬報社)
著者:織田朝日
価格:定価1500円+税
番組情報
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