年の初めに……飴と書物、「古典」に学ぶ
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「報道部畑中デスクの独り言」(第227回)
ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム。今回は、飴と書物から学ぶ「古典」について---
2021年、新年おめでとうございます。新春恒例(?)のスイーツの話題、今回は小さいころお世話になった「飴」の古典を集めてみました。まさにキャンディ界の“レジェンド”たちです。
まずは「黄金糖」、いわゆる「べっこう飴」の一種ですが、四角柱のキラキラした輝きは宝石のようです。海外ではその名も「The Golden Drop」(まんまやんけ!)、アメリカや台湾でも人気だそうです。
黄金糖のHPによると、黄金糖のルーツは1世紀以上前の1919年(大正8年)にさかのぼります。宮崎県で売り出された「金銀糖」、その後、瀬戸口商店を創業して「黄金糖」と改められ、現在の形に。型から外れやすく、気泡が入りにくい四角柱の構造が生み出されました。
香料・着色料一切なし、砂糖と水飴だけでつくるこの飴は、まさに「機能美」あふれる飴と言えるでしょう。社名は丸十製菓を経てズバリ「黄金糖」に変わり、現在に至ります。UHA味覚糖の「純露」は永遠のライバルです。
続いて「パインアメ」、製造している会社はこちらもズバリ「パイン株式会社」。戦後まもなく1951年(昭和26年)に設立された業平製菓がルーツです。
パインのHPによると、生のパイナップルが缶詰でさえ高級品だった時代、「パイン缶の美味しさをみんなが手軽に味わうことができたらどんなにすばらしいだろう」……そんな思いで開発されたと言います。パインアメの真ん中の穴は社長のこだわり。発売から2年後に機械で開けられるようになったそうです。
なめると内側から溶けて細いリング状になるのも面白いです。ちなみに黄金糖もUHA味覚糖もパインアメも、現在の本社は大阪。まさに「アメちゃん文化」の一翼を担っていると言えるでしょう。
一方、東京のメーカー、佐久間製菓の「サクマ式ドロップス」とサクマ製菓の「チャオ」。「さくませいか」には「漢字さくま」と「カタカナさくま」があります。
両社のHPによると、源流は1908年(明治41年)に佐久間惣次郎氏が設立した佐久間製菓ですが、戦時中にいったん廃業。戦後に実業家・横倉信之助氏がつくったのが新しい「佐久間製菓」。創業者から引き継いだ山田弘隆社長の三男が立ち上げたのが「サクマ製菓」です。両社は現在も「共存共栄」「切磋佐久間」もとい「切磋琢磨」といったところでしょうか。
佐久間製菓の「サクマ式ドロップス」は赤缶に入ったドロップ。一方、サクマ製菓にもドロップはありますが、こちらは緑缶で商品名は「サクマドロップス」です。
そのサクマ製菓で印象に残っているのが、大粒の透明なキャンディのなかにとろけるチョコレートが入った「チャオ」です。サクマ製菓のHPによると、1964年(昭和39年)に発売、「ちょっと贅沢なチョコレートキャンデー」とあります。CMソングも親しまれました。
いったん販売が途切れますが、「復刻版」が登場。これをインターネットで見たときは、あまりの懐かしさに10袋入りの「大人買い」をしてしまいました。
これらに共通するのは、素朴な甘さ。ほっこりした気分にさせてくれます。単なる懐かしさだけでなく、創業者のこだわりと客に対する純粋な思いが感じられます。それがここまでのロングセラーにつながったのではないかと思います。
飴もいまは「ハイブリッドの時代」、スーパーの飴コーナーをのぞいてみると、最近は「のど飴」など健康に気を配ったものが目立ちます。メーカーも製菓会社と製薬会社が入り交じり、まさに「群雄割拠」の様相。進化を続ける飴ですが、そんななかにも「古典」が踏ん張っているのを見ると、うれしい気持ちになります(ただ、糖分過多には気をつけなくてはいけませんが)。
「古典」と言えば、私は昨年(2020年)、年甲斐もなく、書物の古典を結構拝読しました。司馬遼太郎の「坂の上の雲」は文庫本8冊分で身もだえましたが、日本の近現代史の一端を改めて知ることができました。
貝原益軒の「養生訓」は83歳のときに執筆され、作者の健康法、その真髄が詰まっていました。ジョージ・オーウェルの「一九八四年」、戦後まもなく書かれたものですが、コロナ禍のなか、あらゆる社会で起きるやも知れぬ……いまこそ読まれるべき本と感じました。
飴と書物はもちろん違いますが、古典と言われるものには長い歴史を生き抜いた強さがあります。新型コロナウイルスの感染拡大により、「新しい日常」が叫ばれ、「コロナ前には戻れない」と言われていますが、だからこそ「過去」に学び、時代が変わっても色あせないものは何か……模索する1年にしたいと思います。
本年も小欄「報道部畑中デスクの独り言」をよろしくお願いいたします。(了)