【ライター望月の駅弁膝栗毛】
秋田・青森地区で活躍してきたキハ40形気動車もラストスパート。
五能線の車両は、津軽線の非電化区間(蟹田~三厩間)でも活躍していたこともあって、奥羽本線を走る一部の列車も、気動車によって運行されていました。
タラコ色の車両に出逢うと、どこか懐かしくて、ほのぼのとした気持ちになれるもの。
昭和の名残を感じる風景も、だんだんと思い出の世界へと移り変わっていきます。
津軽線が発着する青森駅は、明治24(1891)年の開業から9月で130年を迎えます。
それに先立って、昭和34(1959)年から60年以上使われてきた4代目の駅舎に代わり、3月27日から新駅舎の供用が始まることになりました。
太平洋側と日本海側、そして北海道との結節点として役割を果たしてきた青森駅。
地元の方はもちろん、全国の鉄道旅好きに、きっと思い出のある駅ではないでしょうか。
(参考)JR東日本盛岡支社ニュースリリース・2021年2月15日分
東北新幹線がない時代、上野から東北本線で青森を目指した特急「はつかり」をはじめ、寝台特急「はくつる」、常磐線回りの寝台特急「ゆうづる」といった、東北特急で活躍した583系電車は、青森駅とゆかりのある車両です。
晩年は、年末年始や旧盆などの多客時に、秋田~青森間の特急「かもしか」として、青森駅へやって来ていたのが、記憶に新しいところです。
かつて、青森駅のホームからは、青函連絡船の青森桟橋へとつながっていました。
また、連絡船は貨車輸送も行っていましたので、レールも桟橋へと伸びていました。
昭和63(1988)年3月13日、津軽海峡線の開業によって、80年の歴史に幕を下ろした青函連絡船ですが、その廃止からも33年の月日が流れました。
駅舎の改築と合わせ、連絡船の思い出に浸るのも、そろそろ、ひと区切りでしょうか。
そんな青森駅の旅の思い出とともにいただきたい駅弁が、今年(2021年)1月9日から3月までの予定で、青森駅と新青森駅で販売されています。
「幸福の寿し本舗」が製造する、その名も「んろぉ めぇ~どごだげ弁当」(1300円)。
「んろぉ めぇ~どごだげ」とは、津軽弁で「おお、うまいところだけ」の意なのだそう。
掛け紙には青森駅現駅舎のモノクロ写真、裏面には青森駅の歴史が書かれています。
【おしながき】
・そぼろごはん 鶏肉の照り焼き
・牛バラ玉ねぎ炒めごはん 絹さや
・かに・いくら・錦糸玉子ごはん (ご飯は青森県産「青天の霹靂」使用)
・青森県産ほたて煮
・煮物(れんこん、椎茸、人参)
・玉子焼き
・切り昆布煮
・青森県産りんごシロップ漬け
ふたを開けると、牛&鶏とカニ・いくらごはんの3つの味が楽しめる駅弁となっています。
「んろぉ めぇ~どごだげ(=おお、うまいところだけ)」のネーミングは、これまで青森で発売されている駅弁のなかから人気のメニューを集めたことによるものだそう。
なるほど、「幸福の寿し本舗」が手掛ける青森駅弁のいいトコどりというわけですね。
「青森駅弁は初めて……」という方も、お試し感覚でもいただくことができそうです。
最後の上野発青森行の夜行列車となった寝台特急「あけぼの」で、青森駅に下り立って、酸ヶ湯温泉から蔦温泉へ、貸し切り状態のJRバス「みずうみ」号で旅をした思い出。
「青森ねぶた祭」で盛り上がる街を横目に、「青森まちなかおんせん」でひと風呂浴びて、急行「はまなす」へ乗り継いだ思い出など、私自身も青森駅の旅の記憶がよみがえります。
青森駅舎の世代交代とともに、青森のまちも新しい時代へ一歩、踏み出していきます。
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/