富士山の麓・東海道本線富士駅最初の駅弁が「いなりずし」になった理由~富士駅弁・富陽軒

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【ライター望月の駅弁膝栗毛】
「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。

画像を見る(全11枚) いなりずし(2019年撮影)

駅弁屋さんには“大正生まれ”の業者があります。これらの駅弁屋さんの創業は、本線から分岐する「支線」の開通が大きく関係しています。静岡県富士市を拠点に駅弁を製造する「富陽軒」も、大正9(1920)年の富士身延鉄道(現・身延線)・身延開業が、創業のきっかけの1つとなりました。富陽軒が手掛けた最初の駅弁は「いなりずし」。誕生背景には、東京・神奈川・静岡を結ぶ創業家のドラマがありました。

373系電車・特急「ふじかわ」、身延線・柚木~富士間

駅弁屋さんの厨房ですよ! 第27弾・富陽軒編(第2回/全6回)

初夏の朝日を浴びて、甲府から身延線・朝イチバンの特急「ふじかわ」が上って来ました。静岡~甲府間を結ぶ「ふじかわ」は、昭和39(1964)年に運行を開始した準急「富士川」にルーツを持ちます。去年(2020年)には平成7(1995)年に特急「ふじかわ」として運行開始してから25周年を迎えました。現在は約2時間間隔で1日7往復の運行。東海道新幹線「ひかり」と接続し、主に静岡・山梨と中京・関西圏を結ぶルートとなっています。

(参考)JR東海ホームページほか

富士駅

特急「ふじかわ」は、途中の富士で進行方向が逆向きになるのも1つの特徴。富士駅は、明治22(1889)年の東海道本線全通から20年後の明治42(1909)年、鈴川(現・吉原)と岩淵(現・富士川)の間に設けられた駅です。大正の初めには話題の渋沢栄一も設立に力を貸した富士身延鉄道(現・身延線)の乗換駅となりました。この富士駅に、「富陽軒」による駅弁が誕生して、今年(2021年)6月で100年となりました。

■石井大介(いしい・だいすけ)

株式会社富陽軒・代表取締役。昭和24(1949)年7月10日、静岡県富士市生まれの72歳。東京都内の高校・大学を卒業後、メディア勤務を経て、株式会社富陽軒入社。昭和57(1982)年、先代・お父様の死去に伴って3代目社長に就任。現在は富士駅、富士宮駅・身延駅(身延線)、新富士駅(東海道新幹線)の構内営業の他、仕出しはもちろん、病院等の売店・食堂なども展開している。

株式会社富陽軒・石井大介代表取締役

●石井家のルーツは、江戸幕府の家臣団!

―創業100年を迎えた「富陽軒」ですが、そのかじ取りを担ってきた石井家は、もともと、どのようなことをされていたのですか?

石井:もともとは江戸幕府の家臣団です。明治の初め、徳川宗家16代目の徳川家達(とくがわ・いえさと)に付いて静岡に移住してきました。それまで江戸時代の初めごろから、いまの文京区にある巣鴨稲荷(子育稲荷)の真ん前にいたことが文献でわかっています。当時はその辺りが下級武士の屋敷だったようですね。大政奉還後、家達の静岡藩知事就任に伴って、石井家も家臣団の1人として静岡市にやって来たわけです。

―当時の石井家には、どんな方がいらしたんですか?

石井:当時の石井家の当主は石井源三郎と言いました。幕末には京都見廻組にも参加していたそうです。静岡には17歳だった子どもの信敏(のぶとし)がやってきました。しかし、明治4(1871)年の廃藩置県で、家達さんは5年で東京に戻ってしまいました。でも、信敏はそのまま静岡に残り、静岡県警に入りました。その後も紆余曲折はありましたが、警察や司法の仕事をメインに、大正の初めに亡くなるまで静岡市を拠点として生計を立てていました。ちなみに、東京・巣鴨の本家は、関東大震災、戦争の空襲で戸籍が焼失してしまい、ルーツを辿ることができなくなっているんです。

子育稲荷(巣鴨稲荷、東京・文京区)

●静岡駅弁・東海軒で修業し、鉄道の構内営業参入へ!

―そんな由緒ある石井家が、鉄道の構内営業とかかわりを持ったきっかけは?

石井:明治時代の終わりごろ、静岡駅の構内営業をめぐってトラブルがありました。このとき、(警察や司法に通じていた)石井信敏が調停に入ったんです。その結果、当時3社が合同する形で経営されていた三盛軒(いまの東海軒)さんが、構内営業として残ることになりました。その縁もあって石井家の者が、三盛軒(大正3年から東海軒)で駅弁の修業をすることになったんです。

―修業を経て、いよいよ独立ということになったんですね?

石井:大正9(1920)年、まだ東海道本線は御殿場回りでしたが、熱海経由のルートの工事が進められて小田原駅が開業することになりました。このとき、当時の鉄道省から構内営業事業者の募集がかかりました。さっそく石井家も応募したんですが、残念ながら、現在も駅弁を販売されている地元の東華軒さんに敗れてしまいました。歴史にもしもはありませんが、このときの“コンペ”が通っていたら、小田原で商売をしていたかも知れません。

小田原城をバックにN700S新幹線電車「のぞみ」、東海道新幹線・小田原~熱海間

●鉄道省の紹介によって、富士身延鉄道の開通で賑わう富士駅へ!

―では、どうして「富士駅」へやって来たのでしょうか?

石井:鉄道省の方がせっかく応募してくれたということで、他に駅弁店を開業できそうな駅を、北海道から九州まで紹介してくれることになりました。そのなかから、開業10年あまりの小さい駅だった富士駅の構内営業者となることが決まりました。当時の富士駅は、富士身延鉄道(いまの身延線)が身延まで開通し、富士山本宮浅間大社や身延山久遠寺の参詣客が見込まれていたんです。結果として、静岡駅にいちばん近い駅になりました。

いなりずし(2019年撮影)

―最初の駅弁は、いまも続く「いなりずし」だったと聞いています。どうしてですか?

石井:石井家の本家の前にあった“巣鴨稲荷”にちなんだものだと思います。当時、親族が日記を書いており、そのなかに巣鴨稲荷にルーツがあることをほのめかす記述があるんです。油揚げは醤油ではなく、いまもザラ目で甘く煮つけています。昔の油揚げは破れやすくて、よく切れ端ができたので、富士駅の立ち食いそば店に揚げの切れ端をサービスで置いたところ大好評をいただきました。これでひところ、駅そばが大変よく売れたことがあります。

画像を見る(全11枚) いなりずし(2019年撮影)

【おしながき】
・いなりずし(昆布入り酢飯)
・ガリ

いなりずし

富陽軒の「いなりずし」(460円)の特徴は、何と言っても、創業当初からの昆布入りの酢飯です。油揚げも富士市内にある豆腐店が製造したものを使用、ザラ目の自然な甘みが感じられるお揚げとなっています。

助六ずし

なお、7月上旬現在、コロナ禍で一部売店が休業中のため、「いなりずし」単品での販売はお休み中。その代わり、「助六ずし」(580円)で100年続く伝統の味をいただくことができます。

373系電車・特急「ふじかわ」、東海道本線・富士川~新蒲原間

新幹線開業まで、多くの特急・急行列車が行き交った静岡地区の東海道本線も、いまは富士から身延線に直通する特急「ふじかわ」が、最も多く運行されている優等列車です。東海道新幹線開業前の東海道本線では、一体どのような駅弁販売が行われていたのか、そして新幹線開業後、多くの駅弁業者が苦境に陥ったなか、富士駅・富士宮駅に湧いた“特需”について、次回も石井代表取締役に伺ってまいります。

連載情報

ライター望月の駅弁膝栗毛

「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!

著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/


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