100年続く老舗駅弁店、コロナ禍に活きた「30年前の緊急事態」とは?~富士駅弁・富陽軒

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【ライター望月の駅弁膝栗毛】
「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。

昭和63(1988)年に開業した東海道新幹線の新富士駅は、当初、団体利用客が多く、大変なにぎわいを見せました。しかし、いまから30年前、その需要が突如として消滅してしまいました。この創業以来最大の危機に、駅弁屋さんは一体どのように対応したのか? そして、新たにどのような活路を見出して、無事、創業100年の節目を迎えることができたのか? いまのコロナ禍にも相通じる危機対応を、老舗駅弁店のトップが語ります。

N700S新幹線電車「こだま」、東海道新幹線・三島~新富士間

駅弁屋さんの厨房ですよ! 第27弾・富陽軒編(第4回/全6回)

運行開始から1年を迎えた東海道新幹線の最新車両・N700S。コロナ禍でのデビューとなりましたが、各駅停車の「こだま」として運行されることもあり、東海道新幹線沿線ではお目にかかる機会がだいぶ増えてきました。「こだま」はのぞみ等の通過待ちがあるため、時間はかかりますが、それでも東京~新大阪間は4時間弱。停車時間の長い駅では、駅弁を買える機会も多く、駅弁好きには“乗って楽しい新幹線”の1つでもあります。

新富士駅

昭和63(1988)年3月に開業した東海道新幹線の新富士駅。開業以来、日中は概ね毎時2本の「こだま」号のみ停車します。他の鉄道路線の乗り入れはなく、在来線の富士駅とは路線バス(7~10分、170円)による接続。天気がいい日には1番線ホームから雄大な富士山を眺めることもできる他、東京まで1時間少々の距離ということもあって、首都圏への通勤利用もあります。

そんな新富士駅の駅弁を手掛けるのが、静岡県富士市を拠点に駅弁を製造する富陽軒。大正10(1921)年の創業から先日、100周年を迎えました。3代目の石井大介代表取締役は、昭和57(1982)年から舵取りを担っています。JR発足から1年、バブル景気真っ只中の昭和63(1988)年3月13日、新幹線の新富士駅が開業。駅弁販売の拠点も、新富士駅に移りました。その直後に起こった、創業以来最大の危機について訊きました。

株式会社富陽軒・石井大介代表取締役

●昭和の最後に最大のピークを迎えた宗教団体の臨時列車!

―宗教団体の臨時列車による大きな需要があった昭和の「富陽軒」ですが、その実質的最後の年に、新幹線の新富士駅が開業したのですよね。

石井:団体列車最大のピークは、昭和63(1988)年3月、新富士駅開業からの1年間でした。これまで西日本方面から静岡駅でバスに乗り換えていたお客様が、新富士駅まで新幹線でお越しになりました。新幹線の臨時列車はケタ違いで、1本の列車に、約1200人のお客様がご乗車されていました。多い日には、14時台に2本運行があった日もあります。この列車が1本走ると、相当な売り上げがありました。

―私も開業当初から新富士駅を利用していますが、団体待合室に多くの方がいらして、バスが大行列を作って、富士宮方面へ走って行く様子をしばしば見ました。

石井:このお客様がお寺の宿坊に泊まられると、朝食などをお出ししていた時期もありまして、団体臨時列車のお客様のお世話をしているだけで、経営が成り立ってしまうくらいでした。でも、いまから30年前の平成3(1991)年に、この団体臨時列車の運行が終了しました。新幹線も在来線も両方です。駅弁の売り上げは前年比30%くらいまで落ち込みました。正直、いまのコロナ禍以上の大打撃だったのです。

新富士駅開業当時「こだま」の主役だった0系新幹線電車(富士市・新通町公園)

●臨時列車運行終了で、売り上げ7割減の大ピンチ!

―当時、私は高校生で、同じクラスの子が突然ふるさとの関西地方へ帰ることになったり、バス会社の経営が苦しくなったり、いろいろな波紋を肌で感じていましたが、このピンチ、石井代表取締役はどのように乗り切ろうとされましたか?

石井:まずやったことは、アルバイトの方を含め、富陽軒に勤めて下さっていた皆さんが、できるだけ他の会社に移れるようにすることです。まだ、バブルの余韻が強かったころなので、それなりに求人がありました。3分の1程度まで人員を減らしましたが、それでも赤字決算となりました。望月さんが通われていた高校の学校食堂にも入っていましたが、このときの事業見直しで撤退を余儀なくされた格好です。

―まさに“緊急事態”だったわけですが、どこに救われたのでしょうか?

石井:富陽軒が生き残ることができたのは病院の存在です。富士市の総合病院で売店や食堂の事業者を募集する機会がありました。富陽軒は駅のキヨスクのような売店の担当として入ることができました。この病院売店のノウハウが蓄積されたことで、のちに、静岡県の東部・中部にある病院の売店をやらせてもらえるきっかけになりました。

30年経ち屋根が撤去された富士宮駅団体ホーム。線路を挟んで病院が見える

●一度動いた時計の針は戻らない! コロナ禍でも……

―「駅弁の需要が突然消えてしまった」という点では、コロナ禍での外出自粛にも通じるところがありますね?

石井:確かに、コロナ禍は「30年ぶり2回目」といった感じです。正直、最初のころは、団体さんもまた戻って来るのではという期待感があったのも事実です。でも、戻って来ませんでした。このときの体験が、いまにすごく活きています。コロナ禍でも「(収束すれば)コロナ前に戻るのではないか?」とお考えの方も多いと思います。私は、もう「戻らない」と思っています。一度、時計の針が動いてしまったものは、もう戻らないのです。

竹取物語

新富士駅開業の直前、昭和62(1987)年11月に富陽軒が発売した駅弁が「竹取物語」(1150円)です。富士に伝わるかぐや姫伝説にちなんだ駅弁で、可愛らしいかぐや姫が描かれた掛け紙が目を引きます。竹の籠に入っているのも特徴で、私も小物入れとして再利用しています。登場から34年、いまではすっかりロングセラーとなり、地元の富士商工会議所によって「富士ブランド」にも認定されています。

JR東海社長賞のトロフィー

掛け紙にある「JR東海社長賞」とは、JR発足1年目に、一度だけ行われた「JR東海駅弁まつり」というコンクールで受賞した「JR東海社長賞」のこと。石井社長によると、選考に当たっては、当時の須田寛社長が実際に富士駅を訪れて、お客様がほとんど来ないホームのいちばん外れにあるベンチに座って、土地の空気と水を感じながら、駅弁を試食されたそう。本当に駅弁のことを愛されている方だなぁと感じたと言います。

【おしながき】
・ゆで落花生のおこわ
・金目鯛の塩焼き
・帆立の照り焼き
・桜海老
・錦糸玉子
・筍煮
・椎茸煮
・人参煮
・生麩
・菜の花漬け
・栗甘露煮

竹取物語

ふたを開けると、竹取物語らしく、筍の煮物や、駿河湾の幸・桜海老が目を引きますが、竹取物語の特徴は、何と言っても「ゆで落花生のおこわ」! 落花生を茹でていただくのは、静岡・富士地区で親しまれている食文化の1つです。晩酌のつまみや、子どものおやつになることも多いなか、上品におこわとして、彩り華やかな駅弁に仕上げているのは見事。見た目よし、いただいてよし、持ち帰ってよし、富陽軒を代表する駅弁の1つです。

岳南電車9000形電車・普通列車、岳南電車・神谷~須津間

かぐや姫伝説が伝わる富士市の竹採公園は、岳南電車の岳南原田駅・比奈駅が最寄りです。岳南電車は、東海道本線の吉原と岳南江尾の間、9.2kmを結ぶローカル私鉄。昔、京王線・井の頭線などで活躍していた車両が、いまも現役で走っています。かつては、貨物輸送で有名でしたが、最近は夜景ツアーや夜行列車など、観光列車にも積極的。富士山を眺めて、懐かしい硬いきっぷ(硬券)片手に、のんびりと旅したい路線です。

連載情報

ライター望月の駅弁膝栗毛

「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!

著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/


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