折尾の「かしわめし」は、なぜ北九州のいろいろな場所で買えるのか?
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「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。
アナタは駅弁をどこで買い求めますか? 駅の売店で買い求める方。駅弁大会で買う方。駅ビルや百貨店のデパ地下などに入っている駅弁屋さんの売店で買う方。通信販売を利用して“おとりよせ”する方。コロナ禍もあって選択肢は増える傾向にあります。折尾の名物駅弁「かしわめし」は、折尾駅だけではなく、北九州のさまざまな場所で販売があります。その背景には、鉄道事情の大きな変化がありました。
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第28弾・東筑軒編(第5回/全6回)
鹿児島本線の門司港~久留米間が昭和36(1961)年に交流電化されて、今年(2021年)で60年を迎えました。これに合わせて、福岡周辺には、交流・直流どちらの電化区間も走ることができる電車がデビュー。九州も汽車から「電車」の時代へと変わっていきました。令和のいまも、この電車の系譜を継いだ国鉄生まれの415系電車が、大きなモーターの音をたてて、鹿児島本線を駆け抜けて行きます。
415系電車は、昭和46(1971)年のデビューと言いますから、2021年で登場から50年。国鉄のディスカバー・ジャパンキャンペーンの時期と重なります。「ディスカバー・ジャパンやいい日旅立ちといった国鉄のキャンペーンと、百貨店が開催する駅弁大会が上手くマッチしたことが、今日の駅弁にとって大きい」と話すのは、折尾駅弁・株式会社東筑軒の佐竹真人社長。佐竹社長に東筑軒になってからのエピソードを伺いました。
●戦時統合で4社が合併してできた「東筑軒」
―「東筑軒」としては、昭和17(1942)年の発足となりますが、どうしてこのタイミングで?
佐竹:「筑紫軒」は、戦時中の国策によって、同じく折尾の「眞養亭(しんようてい)」と「吉田弁当」、直方の「東洋軒」と企業統合し、いまの『東筑軒』となりました。筑紫軒は本庄家、眞養亭は佐竹家、東洋軒は松木家が経営してきた構内営業者です。吉田弁当については、どのような人物が関わっていたのが、残念ながらよくわかりません。いまは、松木家は東筑軒の経営からは外れ、本庄家と佐竹家が、東筑軒の経営を担っています。
―もともと、本社は折尾駅前のいまの場所ですか?
佐竹:いまの本社は、もともと、筑豊本線のホームだったところの目の前で「眞養亭」があった場所です。「筑紫軒」は、いまの鹿児島本線5番ホームあたりの少し標高の高い場所にありました。統合に当たって水の便を考慮し、この場所を本社とすることになりました。折尾に3社も構内営業者があったということは、それだけ筑豊本線の炭鉱輸送が華やかだったのではないかと思われます。
●統合でお互いの「強み」を活かせ!
―同じ地域とはいえ、企業風土も異なっていたでしょうから、ご苦労も多かったのでは?
佐竹:昔、聞いた話では、統合に当たり、4社のいちばん強いところを活かしていこうとなったと言います。筑紫軒はもちろん「かしわめし」。眞養亭は幕の内が得意でしたが、幕の内弁当が何種類あっても仕方ありません。そこで、当時は珍しかったアイスクリームを作っていましたので、これをメインでいくことになりました。そのころはアイスクリームの立ち売りの方もたくさんいたそうです。
―折尾駅で駅弁やアイスクリームがよく売れた列車は?
佐竹:筑豊本線の列車です。当時は非電化で蒸気機関車が牽引する列車が走っていましたが、鹿児島本線との接続の関係で20~30分停まる列車が多かったんです。この間にたくさん売れたと言います。売り子さんのなかには、籠が空っぽになってしまって、急いで本社へ補充に帰り、スグに詰めてまた売ったことがある人もいたと言います。当時は普通列車でも、駅弁がよく売れた時代でした。
●列車の高速化、新幹線開業……まちへ飛び出す「東筑軒」
―昭和40年代以降、黒崎、八幡、福間、赤間、若松……の各駅に進出した理由は?
佐竹:昭和30年代半ばから九州でも電車化が進み、折尾駅の停車時間が短くなって、立ち売りから売店へ移行していくことになりました。そのなかで、お客さまにより駅弁をお求めいただきやすいように各駅へ売店を出すことにいたしました。ただ、国鉄のころは構内営業の販売エリアが決まっていましたので、東は小倉の北九州駅弁当さん、西は博多の寿軒さん(当時)に話を通して、鹿児島本線・八幡~福間までの駅に売店を出していきました。
―昭和50(1975)年の山陽新幹線博多開業、九州の駅弁への影響はありましたか?
佐竹:新幹線の開業は、少なからず影響がありました。とくに折尾は新幹線の駅からも離れた中間駅となってしまい、従来の駅売りだけでは商売が成り立たたなくなってしまいました。このため少しずつ強化していた「仕出し」も担う方向へ舵をきって、市中に活路を見出していきました。新幹線開業の賑わいでまちへ出る余裕もなかった駅弁屋さんも多かったなか、このとき、まちに活路を見出していたことが、いまになってはよかったように思います。
東筑軒のかしわめしは、予約なしで購入可能な「駅弁」として販売されているもの以外に、さまざまなラインナップがあります。いずれも2日前の午後5時までの予約で購入することができます。今回は令和元(2019)年にリニューアルされた「ピヨちゃんかしわ」(570円)。ひよこが卵を割って飛び出してきたパッケージが可愛らしく、思わず笑顔になりそう。鉄道車両型のお子様駅弁は各地で見られますが、ご当地名物のお子様駅弁は珍しい存在です。
【おしながき】
・かしわめし 鶏肉 錦糸玉子 刻み海苔
・ハンバーグ
・鶏のから揚げ
・ウインナー
・ナポリタン
・コーン
・チェリー
・ゼリー
可愛らしいふたを開けると、すこし少なめのかしわめしが現れました。おかずやデザートは、子どもたちが好きそうなラインナップですが、かしわ・錦糸玉子・刻み海苔が載った3色のかしわめしは、通常のかしわめしと変わらない美味しさです! これは「食育」の観点でも、北九州にお住まいの親御さんはもちろん、北九州出身で遠く離れている子育て中の方も、郷土の味として、子どもたちに誇りを持ってしっかりと食べさせたい弁当です。
九州は交流電化なのに、交直流電車が活躍しているのは、関門トンネルがあるためです。JR九州が受け持つ山陽本線・下関~門司間は、戦中の開業もあって、いまも直流電化。門司駅の近くでは、車内の照明がしばらく消え、電気が切り替わっているのがわかります。そんなご当地ならではの鉄道事情を感じて買い求めたい、折尾の名物駅弁「かしわめし」。次回、東筑軒・佐竹社長のインタビューの完結編では、これからの駅弁について伺います。
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連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/