銭湯と無関係だった一級建築士が、なぜ「公衆浴場」をつくったのか
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それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
9月1日は「防災の日」。もし災害などが起きて、我が家のお風呂に突然入れなくなったら、皆さんはどうするでしょうか。
「あそこの銭湯、まだあったかな?」と考えるかも知れません。しかし、昔からの銭湯がどんどん姿を消しているこのご時世。それにもかかわらず、新たな「銭湯」をつくった方がいます。
黒岩裕樹さん、1980年(昭和55年)生まれの40歳。奥さんと、上は8歳から下は2歳まで、4人のお嬢さんに囲まれて賑やかなお宅に暮らす、一級建築士のお父さんです。
お住まいは九州・熊本市の中心部。熊本県庁や水前寺公園にもほど近い「神水(くわみず)」という土地で、黒岩さんが生まれ育った町です。
黒岩さんは去年(2020年)、この地に自宅を建て、1階を「神水公衆浴場」という銭湯にしました。家業が銭湯だったというわけではありません。お風呂が大好きだったというわけでもないそうです。
銭湯をつくったきっかけは、2016年に起きた「熊本地震」でした。寛いでいた夜、突然、家にトラックが飛び込んで来たような轟音とともに、激しい衝撃が襲いました。
幸い家族は無事で、電気は数日で復旧しました。しかし、ガスと水道は2ヵ月以上ストップ。黒岩家は2番目のお嬢さんが生まれたばかりでした。
「娘をどうにかして、きれいなお風呂に入れたい」
近所の数少ない銭湯や、自衛隊による仮設のお風呂は人であふれていました。黒岩さんは町中をさまよいます。車で1時間、ようやくある温泉へ辿り着いて、ガラッと浴場のドアを開けたとき、唖然としました。
あまりにお風呂を使う人が多過ぎて、排水が追い付かず、洗い場にも足のくるぶしくらいまで汚れた水が溜まっていたのです。
やがて、黒岩さんが住んでいたマンションも大規模半壊とされ、引っ越しを余儀なくされました。新たな住まいを求めて、久しぶりに神水の町を歩くと、地震で取り壊された建物の跡が空き地になり、新たにできて行くのはマンションばかり。夜や週末となれば人通りも少なく、寂しさが募りました。
「生まれ育った町を何とかしたい!」
そう思ったとき、ふと、地震直後の人であふれかえっていたお風呂の風景が思い出されました。
「そうだ、この空いた土地に我が家を建てて、いざというときのために町の銭湯にもしてしまおう。神水ならきっと、掘れば水が湧きだして来るはずだ」
熊本市は、水道水をすべて地下水で賄っているほど、水に恵まれた町です。なかでも「水」と付く地名のところは、阿蘇の伏流水が湧き出しやすい。一級建築士の黒岩さんは、地域の地盤にも精通していました。
無事に水源は確保したものの、今度は折からの人手不足に見舞われました。人件費だけで予算オーバーになってしまう……。
そんなとき、「町の銭湯をつくりたい」という黒岩さんの思いを知った地元の古くからの知り合い、大学時代の友人たちが、「手伝うよ!」と集まって来てくれたのです。
建築中は費用を抑えるため、自ら現場監督も務めました。構想からおよそ4年が経った2020年8月、「神水公衆浴場」はオープンにこぎつけました。
黒岩さんが自宅兼銭湯を建てるにあたってこだわったのは、木の温もりでした。熊本地震級の揺れにも耐えられる、「重ね透かし梁」という耐震構造を導入。
屋根はできるだけ釘やボルトを使わず、薄い板を何層にも重ねて曲げることで、強度を確保したアーチ型としました。そのおしゃれな雰囲気とデザインの美しさに、オープン前からSNS映えする建物として、地元の話題になったと言います。
先日、1周年を迎えた「神水公衆浴場」。夕方になると、近所のお年寄りや学校帰りの高校生たちで賑わっています。
一方、コロナ禍で閉鎖されてしまった温浴施設もあり、遠方からの常連さんも増えて来ました。黒岩さんは番台に座りながら、改めて思いを強くしました。
「銭湯は私たちの生活の一部、なくてはならないものです。次の世代につながなければ……」
まずは娘たちが少し大きくなって、番台に座れる日まで頑張りたいと決めています。
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