それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
石川県加賀市にある、開湯1300年の名湯・山中温泉。いまの時期はちょうど、日本海で獲れたカニが夕飯を彩ります。
山中温泉には、安土桃山時代以来の伝統工芸「山中漆器」があります。特徴は、木目模様を生かした自然な風合い。この地域では古くから「木地師(きじし)」という、ろくろを回して木材を加工する職人さんの手で、漆器文化が育まれて来ました。
温泉街から少し奥まった場所にある「浅田漆器工芸」は、100年あまり前から山中漆器を手掛けて来た、従業員6人の工房です。
4代目の浅田明彦さんは、1988年生まれの33歳。漆器職人は還暦を迎えても「若手」であり、30代はまだ若手中の若手です。
物心ついたときから、職人さんたちの仕事場が遊び場だった浅田さん。小学生のころ、会社の経営に奮闘するお父様を見て、「自分も漆器をつくりたい」と志します。京都の学校で漆器を学んだのち、ふるさと・山中へ帰って来ました。
会社の一員として、改めて漆器の世界に目をやると、そこは昔ながらの職人世界でした。山中漆器は、1つの丸太から出荷まで約1年かかります。漆を何度も塗るため、夏は乾きやすく、冬は乾きにくいなど、気候の影響も受けます。
手間をかけて出荷しても、同じ石川県の輪島塗や金沢漆器と比べてブランド力が弱く、100円ショップで売られることもありました。
そのため、職人さんのなかには「子どもにこんな割の合わない仕事はさせられない」と、敢えて後継者をつくろうとしない人もいるほどです。
「伝統を守るだけではダメだ。若い人にも手に取ってもらえる器をつくらなくては!」
浅田さんは、新たなブランドを立ち上げることにしました。
浅田さんは2013年、新ブランド「asada(アサダ)」を立ち上げました。つくるのは洋風の漆器、「洋漆器」です。昔気質の職人さんからは、「若いのがまたアホなことをしとる」とも言われました。でも、浅田さんの気持ちは揺るぎませんでした。
「伝承と伝統は違う。時代に合わせたものをつくって行くのが『伝統』だ」
器の世界は、季節によって売れるものが大きく変わります。秋から冬にかけては百貨店などにも置いてもらえますが、春から夏の間は、涼しげな金属製やガラス製の食器が販売の中心です。
「ならば、季節に合わせた漆器をつくればいいのではないか?」
浅田さんは思い切って、漆器の外側をメタリック塗装にしてみました。試作品を会社の朝礼に持って行くと、思いの他、職人さんの反応は悪くありません。常連のお客さんや取引先の方からは、「他の色もあるといい」「シンプルな方がいい」といった、いろいろな意見が出て来ました。
さまざまな漆の塗り方を試しながら色をつくること、およそ3年。地元・石川県の四季の色をモチーフに、4色をまとった洋風のコップが完成しました。春はシルキーピンク、夏はグリーンパール、秋はシャンパンゴールド、そして冬はクールブラック。四季の移ろいと伝統の継承にちなんで、「うつろいカップ」と名付けました。
浅田さんは、新ブランドの売り込みにも気合いを入れました。従来の取引先に加えて、女性客が多いセレクトショップにも飛び込み営業。コンクールや品評会にも積極的に出品しました。初めてメディア向けの「プレスリリース」を出すと、地元の新聞が取材に来てくれました。
「うつろいカップ」は、「可愛い」「SNS映えする」と口コミで評判になって行きます。2018年には、石川県の「プレミアム石川ブランド」に認定。翌年、経済産業省の「グッドデザイン賞」にも選ばれました。
いま開催中の「ドバイ万博」では、日本館を訪れた世界のVIPたちに、記念品として「うつろいカップ」が手渡されています。この栄誉に、最初は渋い顔をしていた職人さんたちも、一緒に喜んでくれました。
最近は温泉のついでではなく、「asadaの漆器が欲しくて山中温泉に来ました」と、お店を訪ねてくれるお客さんが増えたそうです。浅田さんはこの春、次世代の職人を育てるため、山中漆器インターン制度を始めます。
「若手の職人が安心してものづくりに打ち込める環境をつくりたい。そして、山中漆器を次の時代へつなぎたい」
北陸の湯の町にこんこんと湧き出す温泉とともに、浅田さんの漆器への情熱は、きょうも沸々と湧き出しています。
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