安房鴨川駅弁に「あさりめし」が生まれた理由
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「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。
内房線と外房線の終着駅・安房鴨川。かつて、内房線の木更津などでは、あさりの名物駅弁が人気を博したものです。現在は外房にある安房鴨川でも、あさりめしが販売されています。この駅弁はいったい、どのような背景があって生まれたのでしょうか。昭和、平成、令和と移り変わるなかで、厳しい環境が増している房総半島の鉄道事情と一緒にご紹介してまいります。
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第36弾・南総軒編(第4回/全5回)
南房総の海沿いに、2両編成のローカル列車がやって来ました。房総半島の南部では、令和3(2021)年の春から列車の運行体系が大きく変わりました。東京・千葉方面からの長い編成の列車は、内房線が君津まで、外房線は上総一ノ宮までの運行となった一方、木更津~上総一ノ宮間には、日中を中心に、内房線・外房線を直通する2両の新型ワンマン列車が登場。毎時1本、潮風を浴びながら、約3時間かけてのんびりと走ります。
南房総の普通列車が2両編成で十分となった背景には、高速道路の開通・延伸、クルマ社会の進展、沿線人口の減少などが考えられます。とくに内房線特急「さざなみ」は、平日は君津までの通勤特急となり、週末に新宿~館山間で「新宿さざなみ」が運行される程度。この厳しい鉄道環境をどのように乗り切ってきているのか、安房鴨川駅の老舗駅弁業者「南総軒」の4代目、越後貫薫夫会長にお話を伺っています。
●国鉄末期から始まっていた、房総の鉄道利用者減少の危機
―かつては「房総夏ダイヤ」と云われた、海水浴の臨時列車もたくさん走った房総ですが、潮目はどの辺りにあったんでしょうか?
越後貫:「わかしお」が走り始めた、昭和47(1972)年からの10年間は、駅弁がよく売れていたと感じています。しかし(この間に国鉄の値上げが相次いだり、マイカーが普及したことで)お客様が減り始めてきました。それでも昭和50年代には、外房線の複線化工事も行われ、勝浦駅舎も新しくなりました。当時の勝浦市長の誘致によって国際武道大学ができるなど、地域を挙げて(利用者を増やす)努力が行われていました。
―「南総軒」としては、どのようにして、売り上げの減少をカバーしていったのでしょうか?
越後貫:弊社では昭和58(1983)年から、勝浦駅でドムドムハンバーガーのフランチャイズ店を始めました。そのころ、木更津駅弁の浜屋さん(当時)がリーダーシップを取る形で、千葉県の駅構内で、ドムドムハンバーガーのフランチャイズ店舗を展開していたんです。勝浦では新しい橋上駅舎から降りてきたところに「勝浦店」をオープンさせますと、駅前に長い行列ができて、1ヵ月に800万円ほど売り上げたと記憶しています。
●ファーストフードの試行錯誤から、弁当の宅配へ!
―確かに80年代の国鉄の駅に、ドムドムハンバーガーは、結構あったような気がします。
越後貫:最初のころは上手くいくかどうか不安でしたが、何とか、「勝浦店」を軌道に乗せることができました。そこで、木原線(当時、現・いすみ鉄道)乗換駅の大原駅に2号店となる「大原店」をオープンさせました。でも、これが本当にサッパリでした。私が勤務シフトに入った際も、あまりにヒマすぎて、新聞をよく読んでいたほどです。
―売り上げの減少を補うはずが、これでは大ヤケドになってしまいますね。
越後貫:このままではまずいと危機感を覚え始めた矢先、ちょうど読んでいた新聞の広告から、「宅配弁当のフランチャイズ店募集」という文字を見つけました。駅弁の売り上げも減り、駅で手掛けるファーストフードのお店も、必ずしも上手くいくわけではないということで、(弊社の新規事業として)地域の宅配弁当を手掛けようとなったんです。昭和63(1988)年2月、この宅配弁当チェーンとフランチャイズ契約を結び、宅配弁当に参入しました。
●いち早く「宅配」を強化したことで、コロナ禍の痛手を最小限に!
―その意味では、コロナ禍で各駅弁屋さんが、地域の給食・配食を強化した取り組みを、南房総では、30年以上前に迫られていたわけですね。
越後貫:当時は“異端”のような存在でしたけれどね。現在、宅配弁当は、フランチャイズの「ハローランチ」の加盟店(千葉南店)として営業しています。いまも駅弁は作っていますが、正直なところ、この地域の宅配弁当が経営の柱となっています。鴨川はもちろん、勝浦、御宿、館山、大多喜、君津の内陸部まで、広いエリアでご用命をいただいています。(訪れた日には)君津・亀山の公共施設から200個の弁当をご注文いただきました。
―駅弁・宅配の他には、どのような弁当を手掛けているのでしょうか?
越後貫:コロナ前は、バスツアーからのご用命をたくさんいただきました。とくに君津市の「濃溝の滝」(がSNS映えするスポットとして有名になったことで、そこ)へ1日100~150台のバスが来ることがありました。よく「うにとさざえめし」のご注文をいただきました。一方、
小湊の清澄寺には、毎年4~5月にかけて約1万人の檀家さんが、団体登山でお越しになっていて、1日当たり約500食の昼食のご注文をいただいていました。
―全国的にも宗教団体の臨時列車は多いですし、長年、団体臨時列車に駅弁を積み込んできた業者さんもありますね。
越後貫:最初はおにぎりをお出ししていましたが、手間がかかってしまいます。あるときから甘辛くあさりを煮付けた炊き込みご飯に(串カツと玉子焼き、お新香を添えて)お出しするようになりました。これがご好評でしたので、その後、駅弁として販売するようになりました。こうしてできたのが「あさりめし」(864円)です。安房鴨川駅で売り始めると、亀田病院にお越しになるお客様が、通院の楽しみに召し上がって下さることも増えてきたんです。
【おしながき】
・あさりめし 飾り人参 ししとう
・玉子焼き
・竹輪ごぼう
・ひじき煮
・枝豆
・煮豆
団体向け弁当として生まれた「あさりめし」ですが、駅弁としては、ワンコインで食べられることから安房鴨川駅でも人気を博します。その後、リニューアルが行われたことで、現在はおかずが充実。三原駅弁・浜吉から味付けのヒントを受けたというあっさりとした味わいの甘辛あさりご飯に加えて、玉子焼き、竹輪とヘルシーな構成となっています。南総軒自慢のひじき煮はこの駅弁でも健在です(現在、駅での購入は予約がお薦めです)。
南房総を走る2両編成の普通列車には、1両に2席、全部で4席だけボックスシートが設けられており、旅情を感じたい利用者には、とくに海側の席が垂涎の的となっています。時間帯によっては安房鴨川で10分以上停車する列車もあり、昔ながらの鈍行旅気分が楽しめることもあります。できるだけ混雑しない時期、時間を見計らって、のんびりとした鉄道旅を楽しんでみてはいかがでしょうか。
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連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/