千葉・南房総ではなぜ、安価な「あわび」の駅弁を提供できたのか?
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「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。
海辺のお宿に泊まると、夕食にしばしば登場するのが「あわび」料理。刺身、バター焼き、そして踊り焼きなど、さまざまなバリエーションで楽しむことができて、食卓が盛り上がります。そんな「あわび」を60年以上前から、駅弁としてお値打ちな価格帯で販売してきたのが、千葉・勝浦が発祥の老舗駅弁業者「南総軒」です。なぜ、南総軒では、あわびを使った駅弁を販売することができたのでしょうか?
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第36弾・南総軒編(第2回/全5回)
真夏の空の下、安房鴨川駅を発車した特急「わかしお」号が、東京を目指してスピードをグングン上げていきます。平成5(1993)年にデビューした255系電車は、いまもグリーン車連結の9両編成。女優さんとミュージシャンのテレビCMも放映された“房総ビューエクスプレス”の愛称とともに、内房線の「ビューさざなみ」、外房線の「ビューわかしお」として登場しました。いまは「わかしお」の他、総武本線の「しおさい」としても活躍しています。
「わかしお」の始発駅・安房鴨川の駅弁を手掛けているのが、昭和4(1929)年創業の「合資会社南総軒(なんそうけん)」です。もともとは勝浦駅の駅弁屋さんで、「わかしお」の運行開始に合わせて、鴨川に進出しました。いまは安房鴨川駅近くの国道沿いに本社を構え、駅弁はもちろん、南房総一帯の仕出し等も手掛けています。「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第36弾は、南総軒の越後貫薫夫(おごぬき・しげお)会長にお話を伺いました。
越後貫薫夫(おごぬき・しげお) 合資会社南総軒 会長
昭和20(1945)年1月4日生まれ(77歳)。千葉県勝浦市出身。2代目のお父様が亡くなったあと、経営に携わる。病のために早くして亡くなった3代目のお兄様の後を継いで、4代目の代表社員(社長)に就任。現在は代表社員を息子の正剛(まさよし)さんに譲り、会長を務めている。
●千葉・勝浦の有力者が出資して作られた駅弁店「南総軒」
―南総軒はもともと、勝浦の駅弁屋さんでしたが、創業のきっかけを教えてください。
越後貫:南総軒の初代社長は、祖父・越後貫輝(おごぬき・てる)と言います。南総軒は、勝浦の有力者が集まって出資して作られました。祖父はとりまとめ役といったところです。父から聞いた話では、昭和4(1929)年の南総軒創業以前、越後貫家は、勝浦を拠点に乗合バス(路線バス)をやっていたと言います。父や小湊にいた叔父がハンドルを握って、勝浦から、日蓮聖人ゆかりの誕生寺へ参詣者の輸送などを担っていたようです。
―バス会社からなぜ、「駅弁店」に?
越後貫:設立された経緯は私が把握している史料ではわかりませんが、昭和4(1929)年に房総線(いまの内房線・外房線)が全線開通した際、お客様のサービス向上のため、(機関区も置かれていた)勝浦駅での構内営業が求められたのではないかと思われます。そこで、交通に携わっていた祖父の存在もあって、当時の東京鉄道局の承認を得られたのではないかと。屋号も旧上総国の南にある勝浦ですので、「南総軒」となったわけです。
●臨時売店も開設する大盛況! 房総の夏休み
―昔はどのように駅弁を販売していたのですか?
越後貫:草創期はよくわかりませんが、昔は駅弁をはじめ改札内でお土産や牛乳などの売店をやっていたと聞いています。(いまのような冷蔵・冷凍技術が発達していないころは)夏になると自家製のバニラアイスクリームを作っていて、弊社でもよく売れました。(鉄道構内営業)中央会の加盟業者同士でノウハウを教え合って、販売に取り組みましたね。私も勝浦駅のホームで「アイス~アイス~」と声を出して、立ち売りをしたものです。
―昔から房総は、夏場、多くの海水浴客でにぎわったと言いますね。
越後貫:昔は夏になると、房総半島の海に多くのお客様が鉄道でお越しになっていました。房総夏ダイヤという臨時ダイヤが組まれ、さまざまな臨時列車がやって来ました。南総軒も、勝浦の他、御宿(おんじゅく)、鵜原(うばら)両駅に臨時売店を開設していたほどです。準急・急行の時代から、車内販売にも携わっていて、駅弁は本当にたくさん売れました。(当時の始発駅)両国から安房鴨川まで、車内販売のために全区間乗車したものです。
●南房総の海女文化を詰め込んだ、贅沢な駅弁!
―昔は、どんな駅弁があったんですか?
越後貫:普通弁当(幕の内弁当)が中心だったのではないかと思われます。ただ、南総軒の幕の内には「とこぶし」を入れていました。正式名称ではありませんが「とこぶし弁当」と呼ばれて評判になりました。ただ、1年を通してではなくて、「とこぶし」が取れる時期だけ入れていましたので、残念ながら入荷のない時期にお越しになったお客様から、「とこぶし弁当はないんですか?」と訊かれることがよくありました。
―どうして「とこぶし」を入れることができたんですか?
越後貫:いまも、南房総には「海女」の文化があります。勝浦にも当時は海女さんがいて、都会へ出荷する商品にはなりにくいものの、味としては遜色ない“キズもの”の魚介類を、海から上がってきた海女さんが、地元の人向けに売りにきたんです。南総軒では、この“キズもの”のとこぶしやあわびを仕入れて、お値打ちな価格で駅弁として販売しました。いまも続く「あわびちらし」は、このころから続くロングセラーなんです。
越後貫薫夫会長が小学生だった昭和30年代にはもうあったという、南総軒が誇るロングセラー駅弁「あわびちらし」(1250円)。見せていただいた昭和43(1968)年の価格表では、何と200円で販売されていました。平成16(2004)年3月、私が当時の駅弁膝栗毛に記事を書いたときでも720円。このお値打ちな価格には、南房総の海女さんが売る“キズあわび”の存在があったというわけなんですね。
【おしながき】
・酢飯(長狭米使用)
・あわび煮
・蒸しうに
・ほたて煮
・厚焼き玉子
・煮物(椎茸、筍)
・酢れんこん
・ガリ
十字に結ばれた紐をほどいて、鴨川の名物が描かれたあわびちらしの掛け紙を外すと、小箱のような容器からは、伝統の調理法で作られるあわびや帆立、うに、甘い厚焼き玉子をはじめ、たっぷりの食材が現れました。20年前のあわびちらしと比べると、ほたてやうにといった海鮮食材が加わっていて、食べ応えのある駅弁にバージョンアップしています。南房総の海女文化が詰まったロングセラー。これからもずっと食べていきたい駅弁です。
かつては臨時ダイヤが組まれた房総各線の夏。いまもトップシーズンには、臨時列車が運行されています。今季は7月23・24・30・31日の4日間、特急「マリンアロー外房」が、大宮~安房鴨川間(武蔵野線・京葉線経由)で運行されました。この他、週末の朝には、上総一ノ宮~勝浦間に定期普通列車を補完する臨時列車が運行されることがあります。次回は、南総軒の鴨川進出について伺います。
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連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/