「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。
「駅弁膝栗毛」を始めて20年。この間にも、全国各地では、駅弁屋さんの廃業、撤退が相次ぎ、駅弁がない県も生まれています。そのなかにあって、いわき駅弁の小名浜美食ホテル(株式会社アクアマリンパークウェアハウス)は、平成27(2015)年に新規参入し、高いハードルを乗り越えて、日本鉄道構内営業中央会にも加盟、老舗業者に学びながら、駅弁の開発を続けています。鈴木社長のインタビュー、いよいよ完結編です。
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第38弾・小名浜美食ホテル編(第6回/全6回)
東日本大震災から9年、令和2(2020)年3月に全線で運転を再開した常磐線。以来、品川・上野~いわき間で運行していた常磐線特急「ひたち」は、1日3往復が、仙台まで足を伸ばすようになりました。これに伴い、地震などで東北新幹線が運転を見合わせると、「ひたち」がバックアップ機能を果たす機会も増えており、去年(2021年)2月、今年3月に起こった地震では、定期列車に加え、いわき止まりの一部列車が仙台まで延長運転されました。
特急「ひたち」で品川~仙台間を乗り通すと、およそ4時間45分。いわきから、東京・仙台へは、それぞれ約2時間15分となり、駅弁が恋しくなる所要時間です。そんな、いわき駅の駅弁を手掛けるようになって丸7年となった小名浜美食ホテル(株式会社アクアマリンパークウェアハウス)。毎年、積極的に新作駅弁を開発、いわきの魅力を発信し続けています。インタビューのラストは、自信を掴んだ駅弁について伺いました。
●老舗に駅弁作りを学び、駅弁大会で掴んだ自信!
―小名浜美食ホテル(株式会社アクアマリンパークウェアハウス)は、掛け紙に駅弁マークを付けられる、日本鉄道構内営業中央会に加盟されていますが、全国の駅弁屋さんから、どんな刺激を受けていますか?
鈴木:同じ常磐線にある水戸駅弁のしまだフーズさんと、米沢駅弁の松川弁当店さんには大変お世話になりました。島田社長には中央会への加盟を手伝っていただいたり、さまざまな相談にのっていただきました。一方(当時、中央会副会長を務めていた)松川弁当店の林社長には、駅弁作りを学ぶため、駅弁の工場を見せていただきました。それを踏まえて、安全で安定した製造に必要な機械を導入しながら、生産体制を整えることができました。
―「駅弁でイケるぞ!」と、自信を持ったのは、どんなときですか?
鈴木:数年前、京王百貨店新宿店の「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」に、「うに貝焼き食べくらべ弁当」で出展いたしました。このとき、大変多くの方にお求めいただきました。これを機に、さまざまな取引先の皆さんが弊社の駅弁に注目して下さるようになり、いまでは食べくらべ弁当は、弊社の主力に成長いたしました。(駅弁大会の)ブースでジワジワっと来て、気が付くと、次から次へ、ひたすら弁当を作り続けた記憶が甦ります。
【おしながき】
・酢飯
・うにの貝焼き
・蒸しうに
・いくら醤油漬け
・錦糸玉子
・ガリ
いまは「うに貝焼き食べくらべ駅弁」(1480円)となったこの弁当が、京王の駅弁大会でブレイクした理由は、本物のホッキ貝の貝殻にうにがぎっしり詰まった「貝焼き」ではないかと話す鈴木社長。見た目はもちろん、いただいても程よい量で、満足度が高く感じます。思えば、昔のいわき駅弁・住吉屋にも「貝焼弁当」がありました。その意味でも、世代を超えて「いわきらしさ」を感じられる駅弁。彩りよく、ふたを開けた瞬間から気持ちがアガる駅弁です。
●駅弁でお客様が喜ぶ顔を見たい!
―駅弁参入から10年近く、鈴木社長にとって、駅弁作りで大事なことは何でしょうか?
鈴木:お客様の顔ですね。駅弁店でも飲食店でもここは同じです。お客様が「美味しい!」「これいいね!」って言わないと、そこから先につながっていかないんです。当たり前ですが、いちばん難しいことです。そのためにも日々是勉強です。どこに(ヒットや新商品の)ヒントが隠れているかわかりません。新作の「磐城の国弁当」も、東京駅の駅ナカ「グランスタ東京」を巡っていて、海鮮丼のお店に目が留まったことがきっかけです。
―今後、作ってみたい駅弁は?
鈴木:漁師町なので独特の魚の食べ方があります。やってみたいのは、煮魚駅弁です。この地域ではキンキを煮魚にして、食べた骨とあらを丼に入れてお湯を注ぎ、そのお湯を飲む文化があります。これを小名浜では「医者いらず」と言います。これを“ひつまぶし”のように、一度で二度・三度美味しい駅弁として作ってみたいですね。
●福島・浜通りの海を眺めて「駅弁」を!
―小名浜美食ホテルの駅弁を、美味しくいただくことができる鉄道の車窓は?
鈴木:海を見ていただいて欲しいです。できれば、常磐線のいわき~仙台間にぜひ乗って欲しいです。東日本大震災から9年の歳月をかけて、令和2(2020)年に運転を再開したばかりの区間もあります。四ツ倉、久ノ浜、広野の辺りでは、よく海が見えると思います。もちろん、小名浜美食ホテルへお越しいただいて、アクアマリンパークで、海を見ながら召し上がっていただいても構いませんが(笑)。
―鉄道開業150年、ニッポンの駅弁文化を盛り上げるためには、どうしたらいいですか?
鈴木:やっぱり郷土食だと思います。おふくろの味の代名詞と言ってもいい、里芋の煮っころがしのような料理は、どんどん消えています。だから、こういった地域の食文化を、いまの時代につなげていくことができるのは、「駅弁」しかないのではないかと思います。弊社は、「食で地域と都市を結ぶ」をコンセプトに始まった会社ですが、偶然にも「駅弁」と出会えたことで、その目的に向かって動き始めている……そんな手ごたえを感じています。
昭和41(1966)年の大合併で生まれた福島県いわき市。その代表駅・平(たいら)駅は、平成6(1994)年12月3日のダイヤ改正で、「いわき駅」と改称されました。早いもので、いわき駅となってから28年。駅舎や駅ビル、バスターミナルも、大きく姿を変えています。そんな新しいいわき駅の新しい名物となっている、小名浜美食ホテル(株式会社アクアマリンパークウェアハウス)の各種駅弁。夕方の売店をのぞき込むと、概ね完売しています。
いわきを発ってきた特急「ひたち」が、北茨城の海岸線を、終着・品川を目指して走ります。小名浜のまちづくりから生まれた飲食店が、JRの皆さんからオファーを受け、日本で最も“若い”駅弁屋さんになりました。鈴木社長と話すなかで、いわきの新しい駅弁には、東日本大震災で荒れ果てた故郷を何とかしようという、1人1人の方の「情熱」を感じました。どんなに冷めても、心はホカホカのいわき駅弁。また、常磐線の旅をしたくなりました。
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連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/