それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
八ヶ岳の麓、甲州と信州の国境も近い、山梨県北杜市。冬は冷たい「八ヶ岳おろし」が吹きつけ、早朝の気温は氷点下5度を下回ります。
そんな「しばれる」山で、時に夜を徹して固く凍った氷を磨き続けているのは、「蔵元八義」の高橋秀治さん・56歳です。
高橋さんの仕事は「氷づくり」。フワフワの高級かき氷の原料となる「天然氷」をつくる職人です。天然氷のかき氷は、近くの国道20号沿いにある「道の駅はくしゅう」で販売され、夏休みとなれば長い行列ができる人気の逸品です。
高橋さんは、合掌造り集落で知られる富山・五箇山の出身。カッコいい高級車に乗りたい一心で、大学進学とともに上京。1990年代には、いち早くパソコン教室などを展開するIT企業と、人材派遣会社を起こします。一時は東京・大阪などに多くの生徒を抱える、イケイケの社長さんでした。
そんな高橋さんに突如、転機が訪れたのは、2011年の東日本大震災。経済活動が一気に落ち込んだことで、多くの従業員の方々が派遣先から戻され、会社の資金繰りはあっという間に苦しくなります。およそ1年後の春、従業員の方々を救うため、自ら「自己破産」の道を選びました。
順風満帆だった高橋さんにとって、持っていた財産を失ったことは、さすがに堪えました。愛車を手放し、クレジットカードはつくれず、携帯電話すら持つことができません。何もすることがなくても日は暮れ、朝がきて、季節だけが過ぎていきます。
「俺、よく生きてるなぁ……」
気付けば、木枯らしが身に沁みる11月になっていました。久しぶりに東京・谷中へ出かけると、お店の行列が目に入ります。有名な天然氷を使ったかき氷屋さんでした。列に40分並んで氷をいただくと、フワフワの美味しさに感銘を受けます。
「11月なのに、こんな行列ができる天然氷のかき氷……これは結構いい商売ではないか?」
高橋さんの経営者魂が揺さぶられました。
親族や知り合いのお陰で何とか資金を確保した高橋さんは、天然氷を仕入れようと、取り扱っているお店を訪ねます。しかし、氷づくりは職人気質の世界。新参者は簡単にあしらわれてしまい、相手にしてもらえません。
「氷なんて、池に水をまいて凍らせるだけじゃないか。だったら自分でつくる!」
高橋さんは、「いい氷」ができそうな場所として心当たりがあった、八ヶ岳の麓を訪ねました。そして、不動産屋さんに「日当たりが悪く、川が近くて、まず別荘として売れないような場所はありませんか?」と問いかけます。
珍しい問い合わせに不動産屋さんも驚いたそうですが、「天然氷をつくる池を探している」と説明すると、すぐに場所を紹介してくれました。
高橋さんはさっそく池を造成し、氷づくりに取り掛かります。天然氷は池の掃除、殺菌、補修から入って、大きな日よけネットをかけて日光を遮り、氷ができやすい環境をつくるところから始まります。くみ上げた井戸水を池に入れ、凍るのをひたすら待ち、できたら切り出していきます。
初めての年、もうすぐ切り出しにこぎつけようとしていた矢先でした。高橋さんが所用で東京へ出た帰りに、山梨では120年ぶりと言われた大雪に見舞われてしまいます。中央道の談合坂サービスエリアで立往生し、北杜市に辿り着いたのは3日後でした。大事に育ててきた天然氷は、雪の重みで無残に砕け散り、収入も消えてしまいました。
それでも高橋さんは、自分に言い聞かせたそうです。
「もう失敗はできない。成功するしかないんだ!」
真冬の明け方、気温が氷点下4度を下回ってくると、高橋さんの気持ちが高まります。
「さあ、凍れ! 一気に凍ってくれ!」
祈るように氷と温度計を見守るなか、透き通った氷が出来上がってくると、およそ14日間寝かして、より厚い氷になるよう育てていきます。暇さえあれば、より美しくなるように氷を磨いたそうです。ようやく無事に切り出しを迎えられたときは、感無量だったとか。
高橋さんは氷点下の外仕事でも、まず寒さを感じることはないと言います。
「車はポルシェから軽トラになりましたが、いまこうして仕事ができるのは奇跡的です」
この冬も高橋さんは、自然を相手に「生かされている喜び」を感じながら、氷と向き合っています。
番組情報
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