「津軽おやき」も販売 「乳がん」きっかけに開いた和菓子店「襷」
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それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
津軽藩の城下町、青森・弘前。その郊外、車でおよそ20分の弘前市・東目屋という地域は、世界遺産・白神山地の玄関口にもほど近い、自然が豊かな場所です。津軽富士・岩木山を望み、辺り一面に「りんご園」が広がります。
この東目屋に今年(2023年)3月、1軒の和菓子屋さんができました。お店の名前は「襷(たすき)」。開いたのは、地元出身の米澤貴子さん・51歳。20代と30代の若い女性スタッフと一緒に、お店を切り盛りしています。
米澤さんは弘前市内の高校を卒業して、18歳で大学進学のため上京しました。そのまま都内で就職し、アパレル、広告関係、ウェディングプランナーなどを経験。しかし39歳のとき、ウェディングプランナーの仕事にひと区切りつけると、何か燃え尽きてしまったような気持ちになったそうです。
そんな米澤さんを心配した友達が、三浦半島へドライブに誘ってくれました。辿り着いた先は、荒れ地を切り拓いてつくられたという、横須賀の農園レストラン。いっぱいの自然ときれいな空気に包まれ、米澤さんの疲れた心が癒されました。そして次の瞬間、ふと新たな気持ちがよぎります。
「私もこんな場所をつくりたい。いっぱいの自然がある場所と言えば……やっぱり青森へ帰ろう!」
米澤さんは約20年ぶりに、ふるさとでの生活を始めました。
「自分の店を持ちたい」という夢を持って弘前に戻った米澤さんは、まず地元にいなかった20年あまりのブランクを埋めるため、地元の会社に勤めてお店づくりのノウハウを学んでいくことにします。
仕事にやり甲斐を感じた米澤さんは、10年近く勤め、スイーツショップの立ち上げなども任されるようになりました。そんな矢先、米澤さんは体の異変を感じます。胸を触ると、しこりのようなものが……。お医者さんには「乳がん」を告げられました。
「私、死んじゃうのかな?」
米澤さんは、病院の帰りの車のなかで泣いてしまいます。でも、家に帰るとご両親が自分以上に泣いてくれたぶん、何だか気持ちが楽になりました。時はコロナ禍、米澤さんは初めての入院でしたが、付き添いも見舞いもなく、たった1人で手術台に向かいました。
手術は無事に成功し、経過も良好。看護師さんの優しさが身に沁みました。仕事への復帰のメドがついてきたとき、米澤さんは考えます。
「私も50歳。自分がつくったものを何か世の中に残して、人生を終えたい」
米澤さんは、ついに自分のお店を持つ決心をしました。コンセプトは、地元の美味しい果物と野菜を活かした和菓子が食べられる楽しいお店。
実は東目屋は寒暖差が大きく、青森県内のリンゴ農家の方もわざわざ足を運んでりんごを買い求めるほど、美味しい果物や野菜が採れる地域です。
ただ、リンゴのスイーツはすぐに思い浮かびますが、野菜の活用法に悩みます。米澤さんがふと思い出したのは、東京時代に信州へ旅して食べた「おやき」でした。
「信州のおやきを津軽の人たちに合うようにアレンジしてみようかしら?」
米澤さんたちは生地の食感を工夫したり、試行錯誤を繰り返しながら、津軽の郷土料理「けの汁」や、地元産の豆腐のおからを使った具材を盛り込んだオリジナルの「津軽おやき」を生み出しました。
今年3月、「襷」オープンの日。東目屋に久しぶりにできた新しいお店に、開店を待ちかねた地元の皆さんが行列をつくってくれました。この1ヵ月、青森県内のさまざまな地域から足を運んでくれる人もいて、米澤さんも手ごたえを感じています。
ちなみに屋号の「襷」は、米澤さんが大好きな箱根駅伝にちなんだもの。
「一緒にやっている若い人たちに、お店の襷をつないでいきたいんです。そして、ゆくゆくは若い人たちがこの店で働きたいと思ってくれるような場所をつくりたい」
もうすぐ東目屋はりんごの白い花が咲いて、ほのかな甘い香りに包まれます。そのなかを米澤さんは、「襷」を未来へつなぐために走り続けます。
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