それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
静岡県の中部、大井川沿いの茶畑のなかを走るローカル私鉄「大井川鐵道」。国鉄が蒸気機関車の運転を終えたあと、最初にSLの復活運転を行ったことでも有名です。
この大井川鐵道で広報を担当する山本豊福さんは、鉄道ファンの間では、まず知らない人はいない存在です。
山本さんは、地元・静岡県島田市の出身。通っていた高校も大井川鐵道のそばにあって、毎日、正午前に鳴り響く汽笛の音が、まるでお昼休みの合図のように感じて育ちました。
しかし大学進学とともに上京し、新しい友人に「静岡の島田出身です」と自己紹介すると、みんな首をかしげてしまいます。
「黒船が来たところだっけ? 新幹線も停まるでしょう?」
同じ静岡県でも下田や三島など、東京に近い場所の知名度はあるのですが、島田や大井川といった地域にはあまり関心がないことに愕然としてしまいました。
「もっと大井川に人を呼びたい!」
そう思った山本さんは、地元に人を呼べる会社として大井川鐵道を就職先に選びます。入社2年目、国内では27年ぶりとなるアプト式鉄道、ギザギザのレールと歯車を使って急な坂を上り下りする鉄道が復活した際、メディア各社に対応したことをきっかけに、実質的に大井川鐵道の「広報」を任されることになりました。
以来30年あまり、懐かしいSL列車はもちろん、「きかんしゃトーマス号」の人気もあり、山本さんはさまざまなメディアにひっぱりだことなります。合わせて、毎年秋に日比谷公園で行われてきた「鉄道の日」のイベントなどを通じて、全国の鉄道会社と横のつながりもできていきました。
その矢先の2020年、世界をコロナ禍が、日本では九州・熊本を豪雨が襲います。なかでも、山本さんが懇意にしていた熊本・人吉に本社がある「くま川鉄道」は、水害で鉄橋やホームが流され、車両も水につかってしまいました。
「何とか、くま川鉄道を応援できないだろうか?」
山本さんは自ら、熊本の応援企画を立てるために動き始めました。
山本さんが自ら動いたのには、いくつか理由がありました。
まず、地元の富士山静岡空港と九州各地の空港の間には、航空便が飛んでいました。加えて熊本・人吉は、明治維新まで約800年、相良氏が治めていた町。相良氏は、いまの静岡県出身というご縁もありました。
しかし、コロナ禍で人が集まるのは難しい状況が続きます。追い打ちをかけるように去年(2022年)9月、台風15号が静岡県を襲いました。およそ半日で400ミリ以上という豪雨の前に、大井川鐵道も被災してしまいます。人気の「きかんしゃトーマス号」も運休を余儀なくされました。
コロナ禍から明るい兆しが見えていたタイミングだっただけに、山本さんの心も堪えました。ただ、ちょうど大井川鐵道が蒸気機関車を「動態保存」……動ける状態で保存するためのクラウドファンディングを募っていたことが幸いしました。全国のファンから応援メッセージと支援金が、続々と寄せられてきたのです。
「大井川鐵道の復旧を願って、蒸気機関車の動態保存を応援します!」
1人1人の思いがこもった言葉に、山本さんも感謝の気持ちが止まりませんでした。
熊本豪雨から間もなく3年、ようやく熊本応援ツアーが実現することになりました。山本さん自らツアーの先頭に立って、いまも運休が続く「くま川鉄道」はもちろん、「JR肥薩線」、そして熊本地震から7年越しで運転再開を果たす「南阿蘇鉄道」も巡ります。
山本さんは被災した鉄道を応援する旅を、「乗り鉄」「撮り鉄」ならぬ「応援鉄」と名付けました。
「鉄道は乗ることがいちばん大事なんです。そのために1人でも多くのファンを増やしたい。被災した鉄道を応援することが、そのきっかけになってくれたら嬉しいです」
大井川鐵道の本線は、いまも家山と千頭の間で運転見合わせが続きます。大井川鐵道も、いまできることで1人でも多く、人を呼び込もうと知恵を絞っています。ゆっくりではありますが、全線再開に向けての兆しも感じられるようになってきました。
2023年6月22日で58歳の誕生日を迎える大井川鐵道の名物広報、山本豊福さん。「ニッポンの鉄道の応援団長」としての旅は、まだ始まったばかりです。
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