かがやき? さざなみ? 小樽の名物駅弁はなぜ、「海の輝き」と名付けられたのか

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【ライター望月の駅弁膝栗毛】
「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。

小樽駅は、札幌から快速「エアポート」で30分あまり。通常は、特急列車の運行もなく、駅弁の販売駅としては、非常に厳しい駅です。それでも、百貨店などの実演販売を通じて、名物駅弁も誕生しました。有名百貨店の駅弁催事に参入してから30年。当時の苦労と新作駅弁の開発秘話を小樽駅弁のトップに伺いました。

キハ261系気動車(はまなす編成)・特急「ニセコ」、函館本線・然別~銀山間

キハ261系気動車(はまなす編成)・特急「ニセコ」、函館本線・然別~銀山間

「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第46弾・小樽駅構内立売商会編(第2回/全4回)

函館本線は、函館~旭川間を結ぶ路線。途中の長万部から小樽にかけては、峠越えのある山間部を通ることから、通称「山線」と呼ばれています。普段は普通列車だけが走る山線が1年で最も賑わうのが、臨時特急「ニセコ」が運行される時期。2023年は新たに北海道の多目的車両(主に臨時列車の車両)と位置付けられたキハ261系5000番台(はまなす編成)によって、9月に16日間にわたって運行されました。

「海の輝き」の掛け紙と、株式会社小樽駅構内立売商会・村上功 代表取締役社長

「海の輝き」の掛け紙と、株式会社小樽駅構内立売商会・村上功 代表取締役社長

かつては、山線経由の特急「北海」や急行「ニセコ」も停車した小樽駅ですが、いまでは通勤・通学と小樽への観光客が主な利用者です。駅弁を手掛ける小樽駅構内立売商会でも、百貨店での駅弁大会や北海道展における実演販売が大きなウェイトを占めます。鉄道を愛したお父様が健在のころは、村上功社長も札幌から寝台特急「北斗星」「トワイライトエクスプレス」に揺られながら、東京や大阪の催事会場へ向かっていたといいます。

北海手綱(現在は販売休止中、画像提供:小樽駅構内立売商会)

北海手綱(現在は販売休止中、画像提供:小樽駅構内立売商会)

●京王百貨店へアポなし営業、初めての「駅弁大会」参加!

―30年前の平成5(1993)年、初めて京王百貨店新宿店の「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」に出店されたそうですが、きっかけは何でしょうか?

村上:その前年、千葉・幕張でイベントがあり、先代社長と上京しました。このとき、噂に聞いていた「京王百貨店新宿店」を訪ねたんです。夕方の混み合う地下の食品売り場で、ダメ元で通りかかった白衣を着ていた男性に声をかけてみました。すると、たまたまその方が催事担当だったんです。そこからのご縁でJR発足の記念弁当として開発されていた「北海手綱」を販売することになりました。

―初めての京王の駅弁大会、いかがでしたか?

村上:私と従業員の2人で行き、アルバイトを1人雇いました。3人いれば大丈夫だろうと思っていました。ところが10時の開店から1時間でパニックになりました。TVで取材していただいたこともあって次々に人が来たんです。私は「行列ができる」ことが初めての経験でした。急きょ、小樽に電話して「もう無理なので、明日1人、飛行機で送ってください」と頼みました。翌々日には、社長も自ら応援に入って、寝る間もなく準備に追われました。

小樽運河の夜景

小樽運河の夜景

●あえて「うにを脇役」にしてみた!

―いまの看板駅弁「海の輝き」ができたのはいつごろですか?

村上:20年あまり前、熊本・鶴屋百貨店の担当者から12月の初めになって1月下旬の駅弁大会に向けて「新しい駅弁を作ってほしい」とご依頼をいただきました。本当は別の業者に打診をしていたものの、トラブルがあって出店してもらえなくなったそうで、メディア取材の都合もあり、1月の初めには完成しておいてほしいと。しかも、駅弁にもお題があり、「いくら」をテーマにした弁当を開発してほしいということだったんです。

―あの絶妙な味わいと彩りは、どうやって実現したんですか?

村上:当時、私はうにの駅弁、北海道らしい「甘い味」の駅弁を作りたいと思っていました。でも、テーマはいくらですので、敢えて、“うにを脇役”で使ってみようと考えました。時間に迫られ、試作品をその辺の小皿に盛り付けたのですが慌ててしまい、うにもいくらも椎茸もきれいに盛ったものが崩れてしまいました。その崩れたものをいただいたらめちゃめちゃ美味しかったんです。具は並べて盛るものと思っていましたが、「層」にするのは発見でした。

幻となった「北のさゞ波」の掛け紙

幻となった「北のさゞ波」の掛け紙

●息子の顔から思い浮かんだ「海の輝き」!

―なぜ、「海の輝き」という名前になったんですか?

村上:当時、弊社に25名ほどいた社員に1人1つずつ名前を出してもらいました。そのなかで女性の料理長が提案した「北のさゞ波」が多数決で1位となりました。すぐに掛け紙の題字も私の母が書きまして、「北のさゞ波」で行こうとなりかけたんです。でも、私は「北のさゞ波」という名前に納得がいきませんでした。うにといくらのキラキラした雰囲気と、“さざなみ”という言葉が持つ語感に、私はずっとモヤモヤしたものを感じていたんです。

―掛け紙まで作ったという「北のさゞ波」から、どうやって覆ったんですか?

村上:モヤモヤした気分のまま、「もう寝てしまおう」と布団をかぶって床に就いたんです。そんなとき、息子の顔が思い浮かびました。じつは息子に命名するとき、「輝」の一文字を入れていました。キラキラした雰囲気を表すなら「かがやき」ではないかと思い始めました。そこで社長に提案し、改めて社員に集まってもらい、ダメ元で新駅弁の名前を「海の輝き」にしたいと伝えました。すると、料理長はじめ、皆「それはいい!」と賛同してくれたんです。

海の輝き

海の輝き

小樽駅構内立売商会の社員みんなで話し合い、村上社長の息子さんにちなんだ名前をつけ、お母様に題字を書いてもらって作り上げた小樽の名物駅弁「海の輝き」(2160円)。発売最初は、「海の輝き」を置いても誰も見向きもしてくれなかったそうです。催事などで立ち止まってくれたお客様を1人1人口説いて、約5年をかけ「海の輝き」の美味しさが口コミで広がっていったそう。いまでは、全国にファンが多い駅弁に成長しました。

海の輝きの盛り付け風景

海の輝きの盛り付け風景

うに・いくら・椎茸・玉子焼きなどを使って作られている「海の輝き」。なかでも、うには蒸しうにをうにのだし汁で煮ることで、うにの臭みを取ることができ、うま味が凝縮されて濃厚な味わいが生まれるといいます。さらに椎茸は3日間、コトコト汁が無くなるまで煮て作っているそう。4日目に椎茸を細かく刻んで使うことで、椎茸のうま味が、口のなかにジュワッと広がって、より深い味わいが生まれます。私もよくリピートしている駅弁の1つです。

【おしながき】
・白飯(北海道産米)
・蒸しうに
・いくら醤油漬け
・厚焼き玉子
・椎茸煮
・ししゃもの卵
・れんこん酢漬け

海の輝き

海の輝き

村上社長によると、仙台での実演販売で、ある旦那さんが「海の輝き」をお求めになったそう。訊けば60歳代の奥様が胃の全摘手術を受けていて、しばらく食べ物を全く受け付けなかったといいます。でも、手術後、初めて喉を通った食事が「海の輝き」でした。「海の輝きにこれからも生きていく勇気をもらいました」と、奥様から言葉をいただいたそうです。心を込めて作られている弁当には大きな力が宿っているのかも知れません。

(注)うにの安定供給が難しいため、2023年夏まで販売を休止していましたが、秋以降は催事での販売を再開しています。

キハ201系気動車・快速「ニセコライナー」、函館本線・小樽築港~朝里間

キハ201系気動車・快速「ニセコライナー」、函館本線・小樽築港~朝里間

函館本線は電化区間・非電化区間の境界となる小樽駅で、ほぼ、乗り換えとなります。ただ、朝夕の一部列車で直通運転も行われており、蘭越・倶知安~札幌間で毎日1往復運行される快速「ニセコライナー」もその1つです。また、小樽7時33分発の普通列車苫小牧行は、倶知安始発のディーゼルカーに小樽から電車を連結して一緒に走るユニークな列車。通勤・通学の日常のなかにも、風光明媚な車窓が広がる函館本線です。

連載情報

ライター望月の駅弁膝栗毛

「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!

著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/

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