「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。
いよいよ11月。そろそろ北のカニが恋しい季節になってきました。カニといえば、やっぱり北海道! 北海道の駅弁といえば、「かにめし」が定番です。なかでも小樽駅で販売される「かにめし」は、小樽の駅弁と地元の皆さんを守りたいという作り手の思いがこもった逸品。いったい、どのようにして生まれたのでしょうか?
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第46弾・小樽駅構内立売商会編(第1回/全4回)
2023年夏、久しぶりに北海道を訪ねました。なかでも函館本線・銭函駅付近から眺める石狩湾の車窓は、海の青さと空の青さに心が動かされました。函館本線・小樽~札幌間は札幌への通勤・通学需要に応えながら、小樽周辺への観光を担う区間でもあります。昼間は概ね、毎時2本の快速「エアポート」が札幌~小樽間を30分あまりで結び、新千歳空港へ直通。列車本数も多く、気軽に北海道の鉄道旅を楽しめる区間となっています。
快速「エアポート」が発着する小樽駅は、2023年で開業120周年を迎えました。この小樽駅で駅弁を手掛けるのは、駅近くに本社を構える「株式会社小樽駅構内立売商会」です。駅弁膝栗毛の恒例企画「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第46弾は、初めての北海道上陸。小樽駅構内立売商会の村上功代表取締役にさまざまなエピソードを伺いながら、名物駅弁の製造も見せていただきました。
<プロフィール>
村上功(むらかみ・いさお) 株式会社小樽駅構内立売商会 代表取締役
昭和43(1968)年1月17日生まれ(55歳)。北海道小樽市出身。社会人を経験して、小樽駅構内立売商会に入社。専務を経て、平成23(2011)年11月、先代社長のお父様(勝さん)が亡くなったため、7代目の代表取締役に就任。
●106年の歴史がある小樽の駅弁!
―「小樽駅構内立売商会」のルーツを教えて下さい。
村上:大正6(1917)年創業の「マルカツ(漢字の勝に○)鶴田食堂」です。昔は立売商会ではなく、よく「鶴田さん、鶴田さん」といわれたものです。最初は構内食堂で、駅弁の立ち売りもやっていたといいます。言い伝えなので定かではありませんが当時の女将さんはとても威厳のある方で、女将の「ツルの一声」で、列車の発車時刻にも意見することができたと聞いています。
―「小樽駅構内立売商会」は、どのようにできて、どんな駅弁が売られていましたか?
村上:「小樽駅構内立売商会」は、昭和17(1942)年に、有限会社として始まりました。鉄道省の指導によって、小樽、南小樽、銭函、余市各駅の構内営業者が合同してできた会社です。いわゆる“戦時統合”の1つだったと思われます。その後、何度も経営者が変わってしまい、昔の駅弁に関する資料が残っていません。ただ、小樽駅のイベントで、調べましたら、かつては「とりめし」が作られていて、人気があったことがわかっています。
●1980年代、小樽駅弁・消滅の危機
―村上家が小樽駅弁に関わるようになった経緯を教えて下さい。
村上:先代社長の父は、鉄道弘済会(後のキヨスクなど)に勤めているサラリーマンでした。1980年代の「小樽駅構内立売商会」は、鉄道弘済会の子会社になっていたんですが、売り上げが思わしくありませんでした。そこで、昭和56(1981)年に、父が出向して会社の建て直しを図ることになりました。先代は約2年で会社を建て直して、ある程度の道筋を作ったところで、弘済会に戻りました。
―小樽駅構内立売商会はその後、どうなったんですか?
村上:小樽駅構内立売商会は、(会社の性格上)国鉄OBによる経営を受け入れてきたのですが、(家族的ではあるものの)ユルい一面もありました。父が退任すると、何度も、経営が思わしくなくなり、もう、小樽駅構内立売商会の再建は無理だから、店をたたもうということになりました。そんな話が弊社に勤めていたパートさんの耳に入ると、「私たちが働く場所がないから、何とかしてほしい」と、逆に会社の存続を懇願されたんです。
●小樽の人たちの生活を守るため、退職金を投げうって、「駅弁店」を購入!
―1980年代は、いまよりはずっと景気が良かったですよね?
村上:1980年代初めの小樽は、ほとんど観光客がいませんでした。いまは名所となった小樽運河も再開発前で水質が悪化して悪臭が漂う場所で、まちの景気もよくありませんでした。加えて当時、小樽駅構内立売商会は(鉄道弘済会の子会社ということもあって)従業員の約9割をシングルマザーの方が占めていました。いまほど、女性の仕事がない時代でしたので、多くの従業員が路頭に迷ってしまうことが目に見えていたんです。
―お父様が、駅弁業者の「社長」になったのは、なぜですか?
村上:父は「(従業員を守るために)自分でこの店をやる」と、定年まで6年の54歳のとき、弘済会を早期退職して、その退職金で、「小樽駅構内立売商会」を買いました。家族は大反対でした。でも、父は、「自分だけ保障された安泰の地に戻るわけにはいかない」と言って譲りませんでした。結局、「1年やってダメだったら辞める」と退路を断っての出発となりました。ちょうど小樽運河が再開発され、まちが脚光を浴び始めた矢先のことでした。
昭和56(1981)年、先代の村上勝社長が最初に小樽駅構内立売商会に出向したときに開発して、いまも先代社長の思いと共に受け継がれている駅弁が「かにめし」(1350円)です。いまの村上社長も当時は中学生で、(お父様の出向以降、急に)晩ごはんが売れ残った「かにめし」ばかりになって、よく食べていた記憶があるといいます。現在、小樽駅の駅弁は、改札外の店舗「たるしぇ」で朝9時ごろから販売されています。
【おしながき】
・白飯(北海道産米)
・ズワイガニの炒り煮
・椎茸
・竹の子
・錦糸玉子
・グリンピース
・梅干し
・桜漬け
・しぐれ昆布
厳選して仕入れたカニの身の繊維を見極めながら、1時間ほど炒り煮をして作られている小樽駅構内立売商会の「かにめし」。村上社長は、お父様が会社を建て直していく間に、「駅弁作り」の面白さに引き込まれてやり甲斐を覚えるようになったことも、小樽の駅弁を継承した理由の1つではないかと推察します。そんな先代社長の駅弁への思いを胸に、カニの身のうま味にジュワッと広がる椎茸のうま味を味わうと、一層美味しいことでしょう。
小樽中央駅として開業してから120周年を迎えた小樽駅。昭和43(1968)年には、函館本線の小樽~滝川間が電化されたことに伴って、北海道の国鉄では初めての「電車」となる711系電車が登場、2010年代まで40年以上に渡って活躍を続けました。汽車から電車へ移り変わっていくなかで、小樽駅弁も駅弁大会をはじめとした「催事」に舵をきっていきます。そんな催事をきっかけに、新たな名物駅弁が生まれていきます。
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連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/