「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。
函館本線・森駅は、今年(2023年)開業120年を迎えました。名物駅弁「いかめし」は、スルメイカ、米、醤油、ざらめで作られるシンプルさ。その売り上げの多くは、百貨店等で行われる催事が占めることも広く知られています。この「いかめし」はどんな会社が作っているのか。そして催事への出展はどう始まり、どんなスタッフによって支えられているのか。改めて森の「いかめし」のそもそも話を、駅弁界では最も若手となるトップに訊きました。
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第47弾・いかめし阿部商店編(第2回/全2回)
噴火湾に沿って特急「北斗」が函館を目指します。その昔は、本州と北海道を結ぶ寝台特急「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」が行き交った区間。この海を眺めていただくモーニングが好きでした。この海をルーツに生まれた函館本線・森駅の駅弁「いかめし」。京王百貨店新宿店の「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」で、50回連続1位となって「殿堂入り」を果たした全国トップクラスの知名度を誇る駅弁です。
現在、このいかめしを製造する「株式会社いかめし阿部商店」を率いるのが、3代目の今井麻椰代表取締役社長です。当初、先代のお父様(今井俊治会長)は、お嬢さんに継がせるつもりはなく事業譲渡を検討していたそうですが、「いかめしと一緒に育ってきた」と自負する今井社長が、「何もやらないより、まずは私がやってみないとわからない」と、承継を申し出たといいます。フリーアナウンサーとの“二刀流”も話題のトップですね。
今井麻椰(いまい・まや) 株式会社いかめし阿部商店 代表取締役社長
平成3(1991)年生まれ(32歳)、東京都出身。大学卒業後にフジテレビのアナウンススクールを受けたことをきっかけにBSフジをはじめ、メディアの仕事に携わる。令和2(2020)年、2代目社長だったお父様から経営を受け継いで、いかめし阿部商店の3代目社長に就任。Bリーグ創設以来、ソフトバンクによる配信「バスケットLIVE」のレポーターを務めるなどフリーアナウンサーとして活躍しながら、「いかめし阿部商店」のトップとして、全国の催事会場を飛び回る日々を送っている。
●前身の「阿部旅館」は、明治天皇もお泊まりになった由緒ある宿
―「いかめし阿部商店」というお店の名前ですが、なぜトップが今井さんなのでしょうか?
今井:先代社長である父の伯父が、初代社長の阿部恵三男(あべ・えさお)といいます。その奥さんが今井家出身でした。初代には跡取りとなる子供がいなかったため、80年代、親戚のなかから父が選ばれて2代目となりました。今井家には函館で病院の食事などを作る家業があったのですが、それは父の弟が継ぎました。当時の「いかめし阿部本舗」を継ぐ際は、森のお店に何ヵ月も住み込んで「いかめし」の味を受け継いだと聞いています。
―阿部家は、どんなお仕事をされていたんですか?
今井:もともとは「阿部旅館」で、明治天皇もお泊まりになったという由緒ある宿でした。この旅館の弁当部が120年前、明治36(1903)年の函館本線・森駅開業と共に、鉄道構内営業に参入したのが森駅の「駅弁」のはじまりです。その頃はおにぎりや幕の内弁当など一般的な弁当を作っていたと聞いています。その後、昭和16(1941)年になって、鉄道で移動する軍人さんのお腹を満たすべく、初代の妻・静子が「いかめし」を開発しました。
●森の「いかめし」が、百貨店の催事に活路を求めた背景は?
―軍事輸送が無くなった戦後は、森駅を取り巻く環境も変わっていったようですね?
今井:昭和30年代、森駅に停まっていた急行列車が通過となり、いかめしの売り上げも激減しました。そこで、当時始まっていた、北海道物産展や駅弁大会といった百貨店の催事における実演販売に活路を求めました。「作ったものを(駅で)売れないならその場で作って売ればいい」という逆転の発想ですね。最初の実演は(諸説ありますが)高島屋で、いきなり1位を獲得して、初代夫婦は後々まで自慢していたと父は話しています。
―函館への進出などは考えなかったのでしょうか?
今井:当時の森は、明治天皇もお泊まりになった交通の要衝という自負が大きく、函館で売ることは考えなかったようです。加えて、1駅1業者の「構内営業権」も強い時代でした。父の代に大沼公園駅前のイベントで「いかめし」を売ろうとしたところ、大沼公園駅には、別の構内営業者さんがいたため、国鉄の駅長さんの許可が下りなかったそうです。でも、その厳しさがあったから、「森駅のいかめし」としての価値が高まったと父はいいます。
●じつはキャディさんと兼業? いかめし職人さんの素顔
―百貨店の催事は、だいたいどんなスケジュールで実演販売を行っているんですか?
今井:毎年1月の京王百貨店新宿店から始まり、大阪・阪神百貨店、熊本・鶴屋百貨店と、2月まで「駅弁大会」が続きます。3~5月は春の北海道物産展が各地で行われます。夏場は食品衛生上の観点から催事は休みで、9~10月にかけて秋の北海道物産展がピークを迎えて、年末の北海道物産展へと続きます。私もできるだけ催事に行っています。父の代から東京に拠点を置いているのも、催事でのトラブル対応に備えたものなんです。
―ご苦労も多いと思いますが、催事スタッフの皆さんは、どんな人たちですか?
今井:基本的にはパート勤務で15~20人くらいの北海道出身メンバーで構成しています。森町をはじめ函館や札幌の方もいます。昔からゴルフ場のキャディさんと兼業されている方が多いです。夏はゴルフ場で働かれて、雪で閉ざされる冬はいかめしの実演部隊としてホテル暮らしを続けながら、全国を回ります。子育てが終わった60~70歳代がメインで、いちばん若手が40歳代なので、スタッフの体調面や後継者がいないことが、いまの悩みです。
●レトルトタイプも人気の「いかめし」!
―社長就任から3年半あまり、コロナ禍の厳しい時期でしたが、感想はいかがですか?
今井:父の代とは経営体制も変わっていますので単純比較はできませんが、まだまだだと思います。改めて、会社はいろいろなポジションの人がいて初めて成り立っているのだと肌で感じましたし、「職人さんに気持ちよく働いてもらう」ということをこんなに考えたことは、いままでありませんでした。ただ、会社の流れはだいたい掴めたと思うので、今後は伝統を受け継ぎながら、時代の変化に会社をどう対応させていくかがカギだと思っています。
―経営体制が変わったという点では函館の三浦水産さんとタッグを組まれていますね?
今井:不漁が続くイカの安定供給という大きな課題もあって、令和2(2020)年からお世話になっています。保存が効くレトルトの「いかめし」(2~3個入、1188円)は、函館の工場で製造しています。レトルトの「いかめし」は、大変ご好評をいただいていて、本当に大きな力になって下さっています。この他、父の代から取引のある業者からも引き続きイカを仕入れています。
●伝統を守りながら、次世代・海外にも受け入れられる「いかめし」を模索
―今井社長にとって「駅弁」とは?
今井:駅弁は日本の伝統であり、独特の食文化だと思います。ただ、残念ながら若い世代では「駅弁」という食文化を知らない人が増えてきてしまっています。都市部では駅ナカの開発が進んで、駅弁以外の食べ物も買える機会が増えたことも大きいですね。一方で、百貨店にも、若い人たちは足を運ぶ機会が減っています。いまは、弊社が誇る職人技にこだわっていきたい……でも、この方法をどこまで続けられるか悩ましいところです。
―今井社長は海外留学されていたとき、「いかめし」の実演販売をされたことがあるそうですが、「いかめし」の海外進出はいかがですか?
今井:先日もアメリカのスーパーで実演販売をしましたが、改めて「いかめし」の海外展開は難しいと感じています。(短期的に)経済的には円安過ぎるということ。また「海外進出=成功」ではないとも思います。加えて、「いかめし」は見た目がイカのままですので、海外ではグロテスクだと評価されたり、まるで北京ダックやスイートポテトのようだという声をよくいただくんです。海外展開の手法は、もう一度練り直す必要があると思っています。
●噴火湾を眺めて、森の「いかめし」を!
―北海道新幹線開業後、「森駅」の今後が気がかりです。
今井:森駅の今後については、弊社ではどうしようもないことです。ただ、この地でイカに米を詰めて煮付ける元祖「いかめし」を生み出し、80年以上「いかめし」を作り続けてきた歴史が消えることはありません。そして、これからの時代を生きていく方には、元が駅弁だったかどうかを気にする方は少ないと思うんです。現状も駅構内ではなく駅前の柴田商店さんに置かせてもらっています。「駅弁」の基準を見直す時期ではないかとも思います。
―今井社長お薦め、いかめしを最も美味しくいただくことができる車窓はどこですか?
今井:森駅に降り立っていただければ分かりますが、そこには海しかありません。この「いかめし」のルーツとなった内浦湾(噴火湾)を眺めながら列車に揺られて味わっていただくのが、いちばん美味しいのではないでしょうか。今後、函館本線が旅客営業しないとなれば、この海を眺めて「いかめし」を味わうこともできなくなるわけですから、ぜひ、いまのうちに、森駅で下りて、海を眺めながら「いかめし」をいただいてみて下さい。
駒ケ岳をあとに、森駅を発車した特急「北斗」が札幌を目指します。改めて森を訪ねて、「いかめし」には古きよき駅弁の伝統が職人技という形で、いまも奇跡的に受け継がれているのだということを確認することができました。しかし、森駅周辺の鉄道風景はもちろん、さまざまなことが、近い将来変わっていきます。その変化にどう対応して、森の「いかめし」を次世代へ伝えていくのか。「いかめし」への愛情を胸に、喋り手という「伝える職人技」を持った3代目に、「いかめし」の未来は託されています。
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連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/