「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。
令和5(2023)年も、いよいよ締めくくりの1週間です。今年はG7広島サミットが行われ、世界的に注目を浴びました。そんな広島の冬を代表する名物駅弁といえば、「しゃもじかきめし」。この駅弁も今年、発売60周年の節目を迎えました。今シーズンも9月1日から来年(2024年)3月末までの予定で販売されています。この「しゃもじかきめし」をはじめとした広島駅の牡蠣を使った駅弁は、いったいどのようにして生まれたのでしょうか?
広島駅の牡蠣駅弁特集(第1回/全3回)
広島を代表する名所の1つ・宮島。広島駅から宮島口駅までは山陽本線の岩国方面行列車で25分ほどです。宮島名産といえばしゃもじ。「駅弁膝栗毛」ではしゃもじにちなんだ広島の名物駅弁「しゃもじかきめし」(1600円)の誕生秘話を、広島駅弁当株式会社の中島和雄代表取締役に伺って、令和4(2022)年にご紹介しました。今回は当時の記事を一部抜粋、再構成して、改めてご紹介いたします。
(☆駅弁膝栗毛2022年5月20日公開「かきめしからあなごめしまで 昭和が生んだ広島のヒット駅弁、その系譜」より)
―戦後、復興が進んで、昭和30年代になると、「駅弁」にもご当地性が求められるようになっていきましたね?
中島和雄・代表取締役:(広島駅弁当に戦時統合された)海田市駅の駅弁業者だった「大田山陽軒」には通称“大田かきめし”と呼ばれた人気駅弁があって、広島駅弁当でもブランドを活かして、「かきめし」を販売していました。当時の駅弁容器は陶器製の丼で、その後も折に入った「かきめし」を製造していたんです。その後、昭和38(1963)年に、いまも冬季限定で販売しているしゃもじ型のプラスチック製容器にかきめしを盛った「しゃもじかきめし」が誕生しました。
―「しゃもじかきめし」は、いまでもユニークな器ですよね?
中島:しゃもじ型容器のアイデアは、当時の調理課長が率先して社員みんなで考えたと言います。「かきめし」を、広島の名物にしたかったんです。そこで、宮島土産の「しゃもじ」をイメージして開運を呼び込もうと、「しゃもじかきめし」が生まれました。そのユニークさは高く評価されて、広島県知事からも表彰を受けたことがあります。昔もいまも広島の牡蠣を使っていますので、販売は旬の冬季に限定しています。2023年で発売60年を迎えるロングセラーとなりました。
(☆駅弁膝栗毛・2022年5月20日分から引用・ここまで)
【おしながき】
・かき飯 錦糸玉子 青海苔
・牡蠣煮
・牡蠣煮柚子味噌和え
・カキフライ ソース
・大根生酢
・じゃこ煮
・広島菜漬
・ガリ
開運をもたらす縁起物とされる「厳島神社」の宮島杓子を模った赤い容器に詰められた牡蠣飯には牡蠣煮が4つ載り、錦糸玉子や青海苔で華やかに彩られて、気持ちがアガります。これにかきフライや牡蠣の柚子味噌和えも入って、広島が誇る牡蠣をいろいろな味で楽しむことができます。ユニークな容器はもちろん、冬季限定という形で60年の歴史を刻んできたという点も特異な駅弁。次の時代へつなぎたい、広島の名物駅弁の1つです。
「しゃもじかきめし」が誕生した昭和38(1963)年は、新幹線はまだ無く、山陽本線も広島までの電化が完成したばかり。呉線ではその後もしばらくの間、蒸気機関車が牽引する列車が活躍したことから、多くのSLファンが詰めかけたといいます。いまでは新幹線が、九州・鹿児島までつながり、多くの列車が行き交っています。そんな歴史に思いを馳せて、「しゃもじかきめし」をいただけば、より一層、美味しく味わえることでしょう。
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連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/