それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
2022年5月にご紹介した、ママチャリで日本列島を縦断した舟橋武志さん。舟橋さんが出した本のタイトルは『78ジジイの「ママチャリで日本縦断」旅日記』でした。
舟橋さんは40代後半からマラソンにハマり、130キロのウルトラマラソンにも挑戦。しかし、膝を痛めて運動とは無縁の生活になってしまいます。
65歳を過ぎると、好きなお酒を朝から飲む毎日。不摂生な生活が何年も続き、メタボまっしぐらに……高血圧、糖尿病、腎臓・肝臓の機能低下など病気が忍び寄り、70歳を過ぎたころには同世代の仲間が次々とあの世へ旅立っていきます。
「このままでは自分も先がない。どうにかしないと……」
そんなとき、リハビリで通っていたお医者さんに自転車をすすめられます。
「自転車だと膝の痛みがない。これなら遠くへ旅行もできる!」
後期高齢者となった75歳のとき、愛知県一宮市の自宅からママチャリを漕いで四国一周を達成。さらに北海道、続いて能登半島も走破します。夏は15日かけて九州・鹿児島へ。こうして78歳のとき、ママチャリで日本縦断を成し遂げました。
そんな舟橋さんの新刊は『80ジジイの「どう生きる」これからの二年』。しかし、横の説明文にはこんな文言が……。
「ガンで突然、ステージ4・余命2年の宣告。どうしてこうなる、これからどうする。夢だったママチャリで九州一周はできるのか」
去年(2023年)の夏、80歳になった舟橋さんは、自宅から九州一周を目指す大旅行を計画していました。ところが、痛風と高血圧で通院している病院から「前立腺ガンの疑いがある」と指摘されます。精密検査を受けたところ、リンパ節や肝臓、骨にもガンが転移していることがわかり、手術は不可能なステージ4。「余命2年」と宣告されてしまいます。
「余命2年」の宣告に舟橋さんはショックを受け、しばらく落ち込みます。しかし、悩んでいても仕方ない。「あと2年あるのなら、1日1日しっかり大切に過ごそう。やりたいことがいっぱいあるんだ!」と、すぐに気持ちを入れ替えます。
九州への自転車旅行は断念し、旅行記から闘病記に変更。『80ジジイの「どう生きる」これからの二年』という本にまとめました。ここには、ステージ4と宣告された舟橋さんの決意が綴られています。
「ステージは舞台だ。そうだ、舞台はステージだ。さしずめステージ4は、4回目の人生の新たな舞台となるわけだ……」
舟橋さんは名古屋駅の近くで、一人出版社&ネット古書店の「ブックショップ マイタウン」を営んでいます。結婚せず、出版に情熱を注いできましたが、縁は異なもの。65歳のときに30歳以上離れた女性と出会い、「年の差婚」をしました。ママチャリで旅に出る際は、奥さんが大きな声で見送ってくれるそうです。
「車にはきぃーつけやーよ! ちゃんと帰ってりゃーよ!」
無事に帰ってくると「よかった、よかった」と大喜びしてくれます。そんな妻に苦労をさせたくないと、舟橋さんは自分の気持ちを打ち明けました。
「まだ若い。これからがある。実家へ帰って新しい人生を歩んで欲しい」
そう離婚を申し出ると、奥さんは泣いて怒ったそうです。
「ガンを知って別れるなんて、そんな非情なことはできません!」
「結婚したときから別れはくると覚悟していました」
「最期は私がしっかり看取ります」
そう言われて、嬉しくもあり辛くもあり、舟橋さんの気持ちは複雑でした。
結婚15年目、奥さんの誕生日に旅行に誘ったところ、「明治村に行きたい」と言った奥さん。その目的は、明治42年に建てられた宇治山田郵便局でした。そこでは10年後に配達される手紙を書くことができるそうです。
「何を書いた?」と舟橋さんが聞くと、「ばか」と答える妻……「こっちも『あほ、たわけ』と書いたよ」と言い返す舟橋さんですが、10年後の妻に宛てて、思いの限り感謝の言葉を綴りました。
ガンは静かに、深く潜行しているそうです。そんなガンと戦い続ける舟橋さんの、力強い一文をご紹介します。
「ガンになってかえって生きる力が湧いてきた。爆弾を抱えるような日々だが、一日一日が前よりも充実している。ステージ4が『いまが一番』と言えるほどの舞台にしてみたいものである」
■『80ジジイの「どう生きる」これからの二年』
■最終号で創刊号の雑誌『自転車大好き!』&『土壇場通信』
※『土壇場通信』は、ステージ4から「完全寛解」を目指して創刊。
■一人出版社&ネット古書店「ブックショップ マイタウン」
http://www.mytown-nagoya.com
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ