
コンプレックス克服がきっかけ 世界七大陸の最高峰に挑む冒険家
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吉永小百合さん主演映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』が公開され、中高年の登山への関心が高まっています。一方で、中高年の遭難事故も増えているそうです。無理をせず、登山ガイドに同行をお願いするのも、一つの方法ですね。今回は、七大陸のうち、六大陸の最高峰を登頂した冒険家で、登山ガイドとしても活動している方のお話です。

七大陸最高峰を目指す冒険家の市川高詩さん(Photo by 平たかゆき)
それぞれの朝はそれぞれの物語を連れてやってきます。
冒険家・市川高詩さん、40歳。お名前の「高詩」は、高い低いの「高」に、詩人の「詩」。「うちの母が詩を書いていて、アンパンマンで知られる、やなせたかしさんのような詩人になってほしいと名づけてくれたんです」
今はニコニコと笑顔が印象的で、声の大きな方ですが、子どものころは内気で人前が苦手だったそうです。そんな性格を変えようと、児童劇団に入りました。そのとき舞台衣装に興味を持ち、服飾の専門学校からアパレル会社に就職。
テーラー(仕立て職人)を希望しますが、営業に回され、2年で退職します。「会社を辞めたとき、自分はダメ人間だと思い込んでしまったんです。学歴もない、収入もない。人間失格だなって……」そんなとき、たまたま手にした本が、植村直己さんの『青春を山に賭けて』。"自分の青春はもう終わった"と思っていた高詩さんの胸に火が灯りました。まるで青春を取り戻すかのように、自転車で日本一周の旅へ。その途中、25歳のとき、鹿児島県・屋久島の宮之浦岳に登ります。登山経験はまったくなく、ジャージ姿で初登山!
そのとき味わった感動で、いっぺんに山の魅力に引き込まれました。「コンプレックスの塊だった」という高詩さんは、こう思うんですね。「植村直己さんが帰ってこられなかったマッキンリーに登ったら、少しは胸を張って生きられるんじゃないか」こうして高詩さんは、世界七大陸の最高峰へ向けて一歩を踏み出しました。
アラスカにある北米最高峰・マッキンリー。標高は6190メートル。植村直己さんが、冬のマッキンリーに世界で初めて単独登頂しましたが、下山途中に消息を絶ち、いまもその姿は見つかっていません。冒険家の植村さんに憧れた市川高詩さんは、26歳のとき、北海道・礼文島に移り住み、島内ガイドとして働き始めます。先輩から登山技術を教わり、休日は利尻山に登り、北海道中央部の大雪山)を縦走するなど、少しずつ登山技術を身につけていきました。その後、東京に戻った高詩さんは、北アルプスや八ヶ岳で、冬山の訓練を重ねます。登山が好きだった父親が「一人では危ない」と、いつも付き添ってくれたそうです。

初めての海外登山は、単独でマッキンリーに登頂(写真提供・市川高詩さん)
そして、2014年、29歳のとき、いよいよ初の海外登山に挑みます。その山は、マッキンリー。植村さんと同じく、単独で山頂を目指しました。夏でも氷河に囲まれた山頂の平均気温は、マイナス20度。一面が雪と氷の世界で、足元にはクレバスの割れ目が潜んでいます。一歩間違えて転落すると、誰からも発見されず、命を落とす危険がありました。「山頂に立ったときは、感無量でしたね。"雪山で泣くと目が凍る"と言われていましたが……凍りませんでしたよ」
世界の最高峰を登るには、莫大なお金がかかります。高詩さんは、海外でワーキングホリデーをしながら資金を貯めました。そして、32歳、オーストラリア最高峰・コジアスコ(2228メートル)。33歳、南米最高峰・アコンカグア(6961メートル)。34歳、アフリカ最高峰・キリマンジャロ(5895メートル)。35歳、ヨーロッパ最高峰・モンブラン(4810メートル)。さらに、ユーラシア大陸最高峰・エルブルース(5642メートル)の登頂も成功。いよいよ世界最高峰、エベレストを目指します。

エベレスト山頂で、ガイドのアンゲル・シェルパさんと(写真提供・市川高詩さん)
ガイドのシェルパさんと二人で8848メートルの頂に立ったのは、2023年、38歳のときでした。しかし下山途中、標高8000メートル地点で嵐に遭い、強風でボロボロになったテントの中、シェルパさんと一つしかなかった寝袋で身を寄せ合い、夜を明かしました。右手に重い凍傷を負いながらも、どうにか5000メートルのキャンプ地に辿り着いたときは、その場に倒れ込みました。帰国した高詩さんを、いつも物静かな父親が怒鳴りつけました。「自分の体をなんだと思っているんだ! 冒険の延長に死があるんだぞ!」それでも、生きて帰ってきた息子を家族がみんなが抱き合って喜びました。
今年の五月……。いつも応援してくれていた父親が、患っていた心臓の病で息を引き取りました。「父の部屋を片づけていたとき、マッキンリーの山頂に立った僕の写真が、額に入れて飾られていました。山に登るとき、『死ぬなよ、生きて帰ってこいよ』と言って送り出してくれた父。帰ってきたときは『お疲れ。おかえり』と、静かに 労ってくれました。もうその声は聞けませんが、父の言葉を胸に、残る南極大陸最高峰のてっぺんに立つまで、頑張ります!」
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