
今回は、今は亡きプロレスラーの展覧会を、個人で開催する方のお話です。

「ストロング小林展第二弾」に向けて準備を進める持田さん
それぞれの朝はそれぞれの物語を連れてやってきます。
「ストロング小林」、そのリング名を耳にして「懐かしい!」と思うのは、60代以降の方でしょうか。また、『風雲!たけし城』に登場した「ストロング金剛」という名に懐かしさを覚えるのは、50歳前後の世代かもしれません。

国際プロレス時代、日本人初のマスクマン「覆面太郎」でデビュー
「ストロング小林」。本名は小林省三さん。昭和15年、東京・本郷に生まれました。戦時中に西多摩の青梅市へ疎開し、ここで育ちます。高校を卒業すると国鉄に勤務。その後、国際プロレスにスカウトされ、入団。当時、ヒロ・マツダや豊登といった人気レスラーが活躍する国際プロレスで、小林さんは、日本人初の覆面レスラー「覆面太郎」としてデビューしました。ボディビルで鍛え上げた筋肉ムキムキの肉体で、外国人レスラーを圧倒。やがて覆面を脱ぎ「ストロング小林」のリングネームで、国際プロレスのトップレスラーへと駆け上がっていきます。

IWA世界ヘビー級チャンピオン時代のストロング小林さん(1971年頃)
昭和46年、IWA世界王座を勝ち取ったストロング小林に、当時"禁断"とされていた、団体の垣根を越えた「日本人対決」の話が持ち上がります。その相手とは、新日本プロレスのアントニオ猪木。ふたりは顔立ちが似ていたこともあり、試合前から大きな話題になります。そして迎えた本番、死闘の末、小林は猪木の「原爆固め」に敗れます。この一戦は、いまなおファンの間でプロレス史上ナンバーワン! 昭和を代表する名勝負として、語り継がれています。
その後、ストロング小林は、新日本プロレスに移籍し、アントニオ猪木・坂口征二・ストロング小林の"新日本ビッグ3"としてリングで戦い続けました。しかし、昭和56年、腰痛が悪化し、長期離脱。復帰はかなわず、昭和59年、東京・福生市体育館で現役を引退しました。その後は「ストロング金剛」の芸名で、スキンヘッドの怪人役としてお茶の間の人気者になりますが、2021年12月31日、都内の病院で亡くなりました。81歳でした。

引退後、ストロング金剛の芸名で活躍。無類の猫好きでも知られた
ストロング小林さんが亡くなって4年、地元・青梅市で、10月10日から『ストロング小林展 第二弾 懐かしき昭和プロレス展』が開催されます。2年前の『ストロング小林展』に続き、今回も主催するのは、持田一博さん、60歳。持田さんがプロレスを初めて見たのは、小学6年生のときでした。
「ストロング小林さんが新日に入団し、初めての興行が、地元に近い福生で行われたんです。あの日のことは、いまも鮮明に覚えています」
会場入りする選手を駐車場で待っていると、「来たぞ!」とファンの声! アントニオ猪木、坂口征二、そして地元青梅のスター・ストロング小林。それぞれが、キャディラックに乗ってやって来ました。車のドアが開くと、のそっと降りてきたストロング小林を間近に見た持田少年は思わず、「うわぁ、デカい!」と声を上げました。当時、「小・中学生券」は500円。会場の一番後ろ、立ち見席でした。リング上の試合は、ほとんど見えませんでしたが、会場の熱気に、持田少年は、プロレスの虜になってしまいます。青梅のスター、ストロング小林さんに会いたい! その夢が叶ったのは、中学1年生のとき。小林さんの自宅に伺うことができました。

小林さんの自宅で(持田さんが20歳の頃)
「試合中は怖い顔の小林さんですが、ご自宅では柔和な優しい方でした。引退されてからも、ふらっと遊びに行くと、『おお、持田君、入れ、入れ』と歓迎してくれて、プロレスの話をたくさんしてくれたんですよ」
面白かったのは、アメリカで試合をしたときの話です。ファイトマネーを札束で受け取りますが、ロッカーに入れておくと盗まれることがある......。そこで札束を、なんとパンツに突っ込んで試合に臨みます。ところが、「パンツの中でお札が擦れて、試合どころじゃなかったよ」と話す小林さんの笑顔が、忘れられないと持田さんは振り返ります。また「男は揉み上げを切るなよ」と女性にモテる秘訣も教えてくれました。

自宅で「ストロング小林展」の展示品や看板を整える持田さん
小林さんの誕生日は12月25日。毎年、持田さんがケーキを持って行くと、とても喜んでくれたそうです。「一番のファンになりたかったんです。仕事や結婚のことで悩んでいた私に親身になって相談に乗ってくれた小林さんは、私にとって第二のオヤジでした」小林さんが亡くなって2年後に、感謝を込めて『ストロング小林展』を開催。小林さんの妹さんの全面協力もあり、大成功を収めました。今回は第2弾! 新たな企画で催されます。
「今年は昭和100年なので、昭和に活躍したプロレスラーの一人として、その偉大さを多くの人に伝えたい。そして『ストロング小林は、いまも生き続けていますよ』と、天国の小林さんに届けたいです!」