
小・中学校では、1学期の終業式が近づいてきました。いよいよ始まる夏休みをどう過ごすか、親御さんにとっては悩みの種かもしれません。今回は、50年以上にわたって、毎年夏休みに有志の子供たちによる自転車の旅を企画、引率し続けている男性のお話です。

多田羅等さん
それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
中小の町工場が建ち並ぶ、大阪府東大阪市。このまちに暮らす、元・小学校の先生の多田羅等さんは、1945年生まれの81歳で、いまも地元のママさんバレーチームの監督を務めながら、毎年夏休み、子供たちと一緒に、およそ1000kmの自転車の旅に出かけています。
香川県出身の多田羅さんは、学生時代の夏休み、バレーボールで鍛えた体を活かして、瀬戸内の島々を、ポンポン船と自転車で巡っていました。立ち寄った漁村では、漁師さんたちと腕相撲大会になったりすることもあって、地元の人たちとのふれあいが、旅の思い出として胸に深く刻まれていったんですね。
縁あって大阪で小学校の先生になった多田羅さんですが、児童には夏休みを有意義に過ごすように言っておきながら、自分自身はだらだらと過ごしてしまっていました。30歳を迎えた1975年、「こんな夏休みではもったいない!」と思い始めた矢先、保護者の方から、「子供に夏休みしか出来ないことを体験させたい」と提案を受けます。
『夏休みにしか出来ないこと……自分の夏休みはというと、自転車旅ばかりだったなぁ。そうだ!子供たちと一緒に、自転車の旅に出かけるのはどうだろうか?』
多田羅さんはさっそく、保護者の方と一緒に、地元の教育委員会の協力を取り付けて、有志の小学生の男の子3人と一緒に、自転車の旅に出ることにしました。目的地は、本土に復帰したばかりで、ちょうど海洋博が開かれていた沖縄。ここで多田羅さんは、沖縄の豊かな自然と、沖縄の人たちの優しさに圧倒されます。
「真っ白な砂浜にテントを張って野宿していたら、明け方、外でザワザワ音がするんです。恐る恐るテントを開けてみると、なんと、音の主はヤドカリの大群だったんですよ!テントを張れる場所が無いと、地元の方が宿として役場や公民館を貸してくれました。日が暮れると、そこに皆さんがエイサーの練習に集まってきたりするんです」
そんな旅先の感動が、次の旅への大きな原動力となっていくのです。
1975年から50年以上にわたって、夏休みに有志の小学生たちと一緒におよそ1000kmの自転車旅を続けている、元・小学校の先生の多田羅等さん。自転車旅はこれまでに48回を数え、ご自身の教え子だけでなく、教え子のお子さんや多田羅さんご自身のお子さん・お孫さんなど、のべ180人が参加してきました。

多田羅等さん
なかでも印象深い年が、2つあるといいます。一つは、阪神・淡路大震災が起きた1995年。この年、訪れた屋久島で、地震のために家を失い、島へ移住した方とめぐり会いました。震災のご苦労を胸に秘めながら、縄文杉など、島の巨木の見学準備を整えてくれたその姿に心打たれて、これからも応援しようという気持ちでいっぱいになりました。
そして、もう一つの年は、3年前の2023年。46回目となった北部九州の自転車旅も印象深いといいます。78歳になっていた多田羅さんは、この年、ステージ3の大腸がんを宣告されました。お医者さんは、今すぐに入院・手術を勧めましたが、多田羅さんは懇願します。
「今年の自転車旅が終わるまで、手術は待ってくれませんか?」
お医者さんも渋々受け入れて、自転車旅に出た多田羅さんですが、疲労の蓄積が祟って、旅先の長崎で体が悲鳴を上げてしまいました。肺炎と腸閉塞を併発して、緊急入院となってしまったんですね。それでも体力の回復に努め、大腸がんの手術に臨んだ多田羅さん、翌2024年の夏休みには、なんとか沖縄の自転車旅にこぎ着けました。
半世紀以上、自転車旅に臨む子供の姿を見ている多田羅さんはこう話します。
「最初はべそをかいているお子さんも多いです。でも、その苦しさを乗り越えられるのは、自分自身しかいないことにやがて気付きます。そして、だんだん仲間同士で助け合う瞬間が生まれてきます。遅れだした仲間の後ろに回って励まして、自転車を押したりするんですよ」
自転車旅が進むにつれて、目に見えてたくましくなっていく子供たちの姿を見ると、旅の疲れが心地いいものになっていくという多田羅さん。じつはもう一つ、叶えたい夢があります。
「今年、ひ孫の女の子が6歳になりまして、来年には小学校に上がります。3年生になったら、一緒に自転車旅に行きたいんです」
49回目となる今年の自転車旅の目的地は、北海道。夏空の下、大阪・東京・埼玉の小学生たち6人と一緒に、北の大地を駆け巡ります。





